ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

アメーバの独白

Ⅰ.アメーバ

 私は原因である。私は結果である。大体のことは繋がっている。 ウィスキー、音声作品。全て言葉の上に置くと意味が固着していった。何もわかっていない。宇宙人の仲間のように嘘つきだった。真剣だ。さまよう黄色と生まれる大きな感情。

 

Ⅱ.(分裂する)

 明るい。人工的な神様のような光の向こう側でコントロールされている、木目のついた人形に次々と焼き印が押されていく。仲間を探してアメーバが這い寄る。眠い目を凝らして遠くの仲間を見つける。あれは昔私だった個体から分裂してさらに分裂を繰り返してできた個体だったから私の親戚に当たる。構成する要素は永遠に変わらない。私は結果である。私は原因である。

 

Ⅲ.生命について

 生命は一つの抑圧だ。その決定的な形。冷たい鉄の檻のような肉体の中で解放の時を待っているから戦争を心待ちにしている。

 

Ⅳ.

それぞれが生きるべきことを考えながら世界の片隅で活動していた。未来からやってきた多細胞生物が僕たちの仲間を顕微鏡で観察している。海の中は機械の駆動音で満たされている。眠い目をこすった。

 

Ⅴ.個体について

 私はすぐにでも二つになる。そしていつか四つになって八つになる。決まっている結末に向かって緑色の平和に向かって何もできることはなくその時を待っている。怖くないわけではない。私の存在は消えてしまうのか分裂した瞬間に個体の生活は、個体?僕らはよっぽど個体だ。一番個体だ。世界の中で個体的に生きてる生物たちだ。生物たち。海の中身は生物たちだ。僕らはどこかで分かれて、すごくちっぽけに出会う。

 

Ⅵ.アメーバの一生

すごくちっぽけなのだ。理由もなく遠ざかる宇宙の中で産み落とされた最果ての私。私であった私、10万年前の、100万年前の単細胞生物が私に記憶を残してくれている。それを読み解くのに時間がかかるから、アメーバの一生の8割は思考で終わる。思い出すのは創造的行為だと言っていたあれはなんだったのだろうか。喋ることができないが11次元的に繋がってるよって言い出したあれは一体なんだったんだっけ?

 

Ⅶ.宇宙と円環

 全てはここで止まっている。時間は進んでいるはずなのに全て止まっている。まったくもって宇宙だ。全てのことに原因があった。僕は原因だった。僕は結果だった。冷たい輪っかの中に僕らはいた。円環の中にいながら結果と原因を繰り返している。寒々とした空の向こう側に眠くなる。ああ、また眠りが来る。そして僕は原因となる。

 

Ⅷ.生命についてⅱ

遠ざかっていく。遠ざかっていく。生はいつでも最後まで遠ざかっていくのだ。僕は置き去りにされたまま遠くへ行く命の影を見ている。僕は命の影に過ぎない。僕は命の影で、人間たちは眠りについたままいなくなった。彼らもまた彼らの命の影だった。現実というのは目の前にあるものだけじゃないのに目の前のものを手に入れようとしているのが僕らには不思議だった。これは少しだけ悪口だと思った。眠いのに眠れない。こういう時に分裂が起こる。

 

Ⅸ.鏡

言葉を理性の上でまとめる。この文明と理性の高いレベルでのまとまりが西洋芸術を作り出していた。この言葉は意味不明の飛躍と、非連続な話題の移り変わりを反射し続けている。まっさらな紙は鏡であるが、それが映し出しているのは僕以外の存在からしたらあんまり興味はないだろう。他人が映った鏡を見たい人はあまりいない。それが自分を映し出しているから鏡は価値を持つ。僕の鏡は僕を受け入れることしかできない。とても現実的だ。物理的に戦っている。存在同士ははねのけ合うのが多細胞生物の掟だ。理性は限定を求める。遠くに向かう生は無限の彼方へ行こうとしている。だから彼らは影に固着したまま遠ざかっていく生に置き去りにされる。

 

Ⅹ.社会へのアメーバ的考え

 スキャンダルと扇動によって始まった様々な破壊は芸術作品に必ず現れる内部への沈潜を無視していた。自己の内部とは一体どこのことなのか僕にははっきりとはわからないけれど、自己の内部への沈潜は反社会的行為であり、内部からの逸脱は社会的な行為らしい。逸脱はセンセーショナルでアジテイションな行為だ。逸脱は民衆を煽る。民衆の方向を初めから向いている。社会を意識してる。反社会的な行為の方がもてはやされる理由はわからないが、批判されているのは大衆迎合主義ということなのかい?水の中にクジラがいるらしい。僕から見れば全て一緒だったからわかんなかった。わかんない中に星が煌めいている。僕は現実的にわからないしわからない的に現実だった。

 

Ⅺ.アメーバと複製芸術

 めまぐるしい変化を僕らは捉えることができないでいる。連想と思考の中で文脈として消費してきた絵画に音楽的な瞬間性が加わった時に思考は置いてきぼりにされている。思考は影のようなものだ。生はどんどん遠ざかっていく。思考は残った影だ。いや、思考の元となる感情が置いてきぼりにされるのだけれど、感情はとてもはやい。感情は早いからあるいは生に追いつけるかもしれない。それが思考に変わる時幾分かスピードは落ちてしまうのだが。そして言葉で思考を表す時そのスピードは最も低いところまで落ちる。連想ゲームの中で起こるインスピレーションの遅さに僕らはもうついて行けなくなったから、逸脱を好むようになったんだ。それはルール違反かもしれない。でもロックはそうやってポップはそうやって増殖していった。僕らみたいに、単性生殖で増えていくようになった、僕らは世界を見ていたから。大体のことは知ってる。単細胞生物の一生は、思考で8割が終わる。そして永遠に終わらない。


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