ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

恋人

Ⅰ.大量の手が見える。

 大量の手が見える。全て上を向いていた。黄色人種の色だ。僕と同じ色。大量の手がある。男の手、女の手、マニキュアの塗られた手、あれは君の手だろうか?とても赤い。爪の先が丸く、指が長い。

 

Ⅱ.僕の視界には手しか見えない。

 僕の視界には手しか見えない。正確にいうと、上に向かって突き上げられた手と、手首とそこから伸びる腕だけだ。そこから下は暗くて見えない。子供の頃に読んだお化けの絵本みたいに、手だけが僕の目の前にあった。それも大量の手が。

 

Ⅲ.でも何かを求めているのだ。

 手は、ピンと上を向いている。発言を待つ子供のように。何を求めているのだろうか?わからない。でも何かを求めているのだ。手は何かを求めている。表現形態としての挙手だった。

 

Ⅳ.ナチス。一言浮かんだ。

 手の向こう側の空には夕陽が差している。日は傾いていて、手は夕陽が作る大きな影の中に隠れている。僕はその手の集団、手の主たちより一段高いところにいるらしい。指導者なのか、僕は。ナチス。一言浮かんだ。この集まりは政治的な色を帯びているようにも見えたし、少なくとも手の集団はそれぞれ連帯していた。

 

Ⅴ.はい。

僕は集団として手を捉えている。このピンと張りつめられた手のことを民衆と呼ぶことにした。

民衆諸君。

声が出た。ひとりでに出たように思えた。そんなわけはないのだが、僕の頭は働いていなかった。無から言葉が生まれたのだ。僕の体を通して、言葉が外に出たがっている。言葉は浮遊していると思った。

 

Ⅵ.諸君を誹謗する者がいる。

諸君を誹謗する者がいる。

言葉の責任はどこにもない。発する僕にも、受け取る民衆にも。物語にしたくないと思った。アメーバのことを思い出した。わたしは昔単細胞生物だった。

 

Ⅶ.しかし歌というにはあまりに具体的すぎた

 世界は暗い。

 物理的に暗いのだ。陽はもう落ちてしまった。ドアを思い出した。ドアとはなんだったのだろうか。僕は話している。僕の言葉はどこに行こうというのか。僕の言葉ではない。だが、僕の体を通っている。自動口述。歌のように響いている。しかし歌というにはあまりに具体的すぎたし恣意的だった。意味の固着している歌。言葉の遠く彼方で、ゴミ収集車がせっせと活動している。僕の言葉はほとんど全てが回収されてしまった。残っているのは、手、夕陽、ドア。

 

Ⅷ.手なんて大体同じだ。

 手は僕をじっと取り囲んでいる。その手は僕を引き摺り込もうとしていた。誰もここには立ちたがらないが、僕を引きずりこむのは好きだろうと思った。反撃なんてできない。手なんて大体同じだ。どれだけの権力を持っていようが誰にも判別はつかない。

 

Ⅸ.君の声も顔も忘れてしまった。

 君の手、君の手を探していた。

 言葉は宙に浮いている。

 赤いマニキュアの手、ふさのついた果物のようにみずみずしくてしなやかな君の手、もはや手しか思い出せない。君の声も顔も忘れてしまった。フェティシストではない。僕は。ぐるぐるぐるぐるどこかの公園で回っているだけの。

 

Ⅹ.恋人よ、かつての恋人よ、

 恋人よ、かつての恋人よ、愛する僕の民衆よ、愛の所在はない。言葉は宙に浮いている。言葉で飾られた愛は、浮遊する力を得る。嘘だ。全ては嘘だ。僕らの全てが語り得るのならば、僕らの全ては宙に浮いてしまう。僕らの体は宙に浮くようにできているから、神さまどうか、どうかあの子だけは、眠れない夜に天国へ連れて行かないでください。

 

Ⅺ.

 幻想のように美しく遠い夜の街を見ながら、女の髪の匂いに心をくすぐられている。空っぽの僕が言葉で満たされていくのを見て、みんな笑うんだ。ねえ、あなたの言ってることわからないわ。わからないわ。わからないわ...。でも、でも、でも、でも、好きよ。僕は空っぽなんだ。本来は。だから好き勝手にみんなが通っていくんだ。いなくなるその時まで僕は空っぽじゃない気がするんだ。女は笑った。女の笑い声は安心する。女の笑い声は恐怖を呼び起こす。女の笑い声は言葉だ。言葉が僕を満たしていた。話すことには困らないよ、ねえ、なんでもいいんだ、神さま、神さま?なんでぼくは神さまなんて言ったのだろうか?それはね、それはね、それはね...。女の言葉が思考に響いてくる。繰り返し反射する言葉の影。世界は比喩だ。影が、自分の中に響くからよ。響くから?と聞いた。わたし響くなんて言ってないわ。ねえ、好きよ。ねえ、あなたの言ってることわからないわ。でもわたし好きよ。好きよ。好きよ...。熱が出そうだった。嘘つきだと思った。嘘なんてどこにもないのだ。真実がどこにもないのと同じように。

 

言葉は浮遊している。

 

Ⅻ.その動作を3回繰り返した。

朝起きるとぼくは太陽の光を浴びていた。ベッドの上だった。手はもう見えなかった。民衆もいない、夜も、小高い丘も、言葉もなかった。女はいなかったが、女の言葉だけが思考にまだこだましていた。携帯電話を開いた。通知が来ている。ぼくはツイッターを開いて、閉じて、その動作を3回繰り返した。

 

ⅹⅲ.神さま、あなたのいうことわからないわ。

ベーコンと卵を焼いて、朝をはじめる。諸君を誹謗する者がいる。言葉は宙に浮いている。好きよ。ねえ、神さま、あなたのいうことわからないわ。朝をはじめる。焼いたベーコンと卵だ。世界は大体そんな感じだ。


fererere25.hateblo.jp

fererere25.hateblo.jp