ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

会話 人称の移動 融合(カメラとか因数分解とかによせての)

 鳥の羽がビルの間をななめに傾かせて通っていくのを見た。ふっくらとした体の年老いた鳩がぼくの足下で草を突っついている。何の気なしに言葉をつぶやく君の声をぼくは聞いた。正確には音を聞いた。音に意味が伴わなければ声じゃない気がする。ぼくは音の方だけ聞いて意味は聞いてなかった。

 「だから、対岸を見てって言ったの。私が川のこっち側と向こう側で微妙に光の当たりかたが違っているのに気付いて、それを彼は知ってるはずだったから。その微妙な違いを撮るのが写真家だって私は先生からこっぴどく言われていたのを、あなたも知っているでしょう?」

 ぼくは知らない。微妙な光の違いも、象徴と記号の違いも知らなかった。だからそう答えた。彼女は首から下げたカメラを持って、急に立ち止まる。パシャパシャと音がして鳩の時間が止まる。SDカードの中で。

 「パシャパシャなんて当たり前の擬音使わないでよ。待って、私が行くまで。」

彼女は早足でついてきた。ぼくは紳士じゃなかった。

「鳩の胸のところの毛の色が少しずつ紫だったり緑だったりするのを私は見つけて、いつかアシスタント付きのスタジオを持ったら鳩の羽を一枚だけもらってきて光の種類を試しながら何百枚と写真を撮ってやろうって話したの。先生は笑って、先生は厳格な人だけど厳しくないから私によく笑ってくれるの。それで、笑って、『光源を真面目に考えて見たことはあるか』って。それで例の光の話になって、その日はそれでおしまい。何もちゃんと技術なんか教えてくれないけど、まあそれでいいのよね。私は彼のアシスタントとして十分に仕事をしてるし。先生はたぶん、仕事のことなんて本当はどっちでも良くて、光とか時間とか、夜ご飯とかそういうことばっかり考えているから、写真がうまいのね。」

 君だってうまいじゃないか。とぼくはひどく一般的なことを言った。例えばオペラ歌手の歌が、誰がうまくて誰が下手かなんて分からないように。つまらないことを言った。

 「前衛芸術家の作品に優劣がつけづらいように。それでもはっきりとその差はある。例えば歌手だったら音とか、芸術家だったら色とかね。その微妙な違い、なんていうの?微分?一番小さくした数ってあるじゃない。」

最大公約数?

「そんな感じ。因数分解みたいな。その一番小さな構成要素が、結局のところ違いになって、見る人が見れば、聞く人が聞けば、それが優劣になる。見る人や聞く人が社会的立場ならそれが一般の評価になる。写真の場合それが光だって、たぶん先生は言いたいんだと思う。」

 ぼくもさっき音について考えていたんだ。それを思い出した。地球の公転周期みたいに、眠れない子供の夜泣きの間隔みたいに、何かが自分や世界を通して循環していて、会話とか思考とかもそういう循環に巻き込まれてしまう。彼女は写真を見比べて足を止めたから、ぼくは最大限の紳士性を発揮して、立ち止まって彼女の方を見た。光がなんとなく彼女を照らしていてそれは今までのどんな瞬間とも違っているようにみえた。