ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

わかんないね

 耳にできた大きな腫れものを右手でいじくりまわしていると、赤い汁と一緒にプチッと音を立てて、正確には音を立てるような勢いでつぶれた。昨日は帰り道でカエルを踏んだ。幸いにして彼は死ななかったけど、あの出来事は彼の寿命を大幅に縮めたんだろうなぁ。

 長かった梅雨が明け、八月。日は高く高く昇り、ぼくはといえば道端に突っ伏してしまいたいくらいの衰弱具合だ。太陽がなければぼくは生きられない。太陽がありすぎても生きられない。吸血鬼はなぜ、太陽に当たると死ぬのだろうか、と考えた。体のなかで起こる化学物質の反応かもしれない、それとも脱水症状なのかな。理由も無く灰になるのがいちばん美しいな。

 道路は太陽をやたらに激しく跳ね返し、「暑すぎる...」とつぶやくおじさんが首に下げたミニーちゃんのタオルで額を拭いた。ミニーちゃんのタオルのピンク色は、おじさんの汗を吸って一部分だけ濃くなる。

 「樋口一葉は気位が高いからすきだなぁ」と、緑色のメッセージが届く。ぼくは携帯をみながら歩くことにした。歩きスマホ、いまこの瞬間、交通事故で死ぬリスクが数パーセント上昇する。ぼくが誰かと会う、喋る、歌をうたう。するとぼくの中にあるかもしれない病原菌が飛んで、幾らかのパーセントで人に感染して、そのうちの何パーセントかは死ぬ。

 ぼくは原因であり、結果でもある。アメーバと一緒だ。気位が高い、なんて言葉を今まで使ったことがない。気位が高い、ことはメッセージの向こうの彼にとって良いことである。気位が高いって、プライドが高いってこと?プライドとはいったい何だろうか。誇り、の訳語だけど、誇りという言葉から受ける印象よりもプライドの四文字からは汚れた印象を受ける。プライド差別だ。気位、プライド、誇り、プライドだけ価値が貶められてる。

 この三つの意味は関係している。ネットワークのようにして意味が繋がっている。意味としてカバーしている範囲が被っている。では、それぞれの明確な違いとはいったいなんだろう?存在するのだろうか?

 今のところぼくは、存在しないと思った。言葉に実態はなく、意味のネットワークの中に放り込まれたそれぞれの言葉が、外側から囲われて形を作られているようなイメージが頭のなかに浮かんだから。

 言葉に実態はなく、関係性だけが意味を担保している。かっこいい言い方ができたから、とりあえず満足。

 僕は樋口一葉に会ったことがなくて、彼女の気位が高いかどうかは知らない。ラインを送ってきた彼もまた樋口一葉の人となりについて、たぶんそんなには知らないだろう。

 ただ、彼女が原因となり、ぼくの思考の上のほうに、「気位が高い」って言葉を持ってくることができた。また一つ感染した。樋口一葉とラインを媒介にした、言葉の感染。ニュースサイトを媒介にした理論の感染や、資本主義を媒介にしたキリスト教の感染もよくある。感染するのは病原菌だけじゃない。

 気づいた。夏の日差しが照るアスファルトの上で、呆然としているかの如く、立ち尽くしていた。おじさんもミニーちゃんもピンクも緑もなく、ただセミだけが音を保続させている。

 これだけ長い時間ずっと音を鳴らし続けるというのはきっと相当に大変なことで、知能で優れているからといってセミに勝ったわけではないなと思う。ぼくは博愛主義者でもなければ相対主義者でもなく、ただ単純にそう思っただけだ。だから人間が尊いとか、自然が尊いとか、そういう結論を見出すことはできない。

 意味もなく思う。意味もなく言う。そういうことが、最近許されない。自然は尊い、命は尊い、常識がどうだとか、感染するリスクを考えての行動だから許されるとか、普段なら良いけどねぇ、とか、たぶん僕はストレスが溜まっているんだろうなぁ。誰がどうとか、どういう意味で、とか。考え、理由、自主性、積極性、合理性。。。

 とりあえず汗をかきすぎたので、水分を取る。そうすれば死ぬ確率が数パーセント下がる。自動販売機を探したけど、水が130円だったのでコンビニへ行くことにする。