実験動物の妄想についての1000文字レポート
一人だけ取り残されたような気持ちがしている。時の流れは早く、それはぼくの思考よりずっと早い。ぼくの成長よりずっと早い。
本を読んでいると、その本について色々解説とかが書いてあったりする。友人と話したり、ネットで検索すれば様々な感想が返ってくる。
そこには、ぼくの読み取れなかった部分、ほんとうのことを言うと、ぼくには情景として理解すらできなかった部分の理解が書かれている。克明に、詳細に。
それを読むと、世界でこれを理解できないのはぼくだけなんじゃないかという不安が生まれる。それだけの知性を自分が備えていないのではないかという不安。自分が世界に取り残されている不安。
ぼくは時に、変な妄想をする。
自分は実験動物のサルで、ほかの人間は宇宙人のように、とにかく自分より遥かに高い知性と能力を持っている。彼らは、この下等なサルを育てていくと何に興味を持ち、どの程度の知性を育むことができるのかを調べるためにぼくの周りで様々なことをする。
テレビ番組を用意したり、本を用意したり、ポルノを用意したり。彼らはぼくを絶えず監視していて、実験ノートは溜まっていく...。世界は壮大な実験室である!みたいな。バカげた妄想だ。
ここで大事なのは監視されているという部分ではない。
自分が下等なサルで、ほかの人間は全てにおいて自分を上回っているという部分だ。取り残されてる感覚が、たぶんこの妄想にあらわれている。
それと同時に、あくまでも自分は保護された存在であり、甘やかされているという感覚もある。自分では何もせず、周りが条件を整える。自分は観察され大切にされる価値がある存在だと、根底では、思い続けている。
生存の条件を握られているということはほかの人間の考え次第で死ぬことにもなっている。これは妄想を基にした運命論みたいだ。死ぬ時は実験の終わり。
ほかの人間には決して追いつけず、保護され、鑑賞され、バカにされ、笑われる。それに抗議しようにも、自分以外はすべてに於いて自分より秀でているのだから文句も言えない。
そしていつか死ぬ。無様に生き、哀れに死ぬ。ここまでが妄想だ。不安と不信に基づいている妄想だ。
時の流れは早いという話だった。
時の流れは早く、ぼくの進みは遅い。劣等感にさいなまれてバカげた妄想をすることもある。こういう時は、寝るのにかぎるから寝よう。良い夢がみたいです。