ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

太陽が落ちるまで

 うまく行くべきところはうまく行っている。岸を飛び立とうとしている鳥は上手に助走をつけたし、棒高跳びの選手はテレビの中で世界記録を打ち立てた。僕だって、寝たり食べたりは上手だ。履歴書の趣味・特技の欄に書くことがなくたって、できることはたくさんある。うまく行くべきところはいつだってうまく行くのだ。

 僕はもっぱら夕暮れの中にいる。いるだけだ。写真を撮ったり、絵に描いたり、詩を作ったりするわけじゃない。ただ、様々な場所で様々な夕暮れの中にいた。

 川辺、森、海の中、街、どこに行ったって夕暮れは同じ夕暮れで、太陽は変わらない。僕の方も特別の変化はない。だから、ただ僕のいる場所だけが変わっていっただけだった。

 太陽が傾き、ある一定を超えると段々と紫色のヴェールが落ちてくるように夕暮れが来る。僕は夕暮れの中にいる人間だから、他の人よりは少しだけ夕暮れに詳しいはずなのだが、未だに昼と夕暮れの境目を捉えたことがない。瞬きの間や缶コーラを買う間の一瞬で空は紫のヴェールを被ってしまう。人目を盗んでコソコソと一瞬のうちに手続きをすませてしまったかのように、夕暮れは夕暮れになっていくのだった。

 実を言うと、僕は夕暮れだ。何をいってるかわからないけれど、確かな確信があった。僕は夕暮れだ。比喩ではない。というか、僕はあの夕暮れの一部なのだ。そして夕暮れは僕の一部なのだ。だから夕暮れの中は安心できた。例えば風の吹く河川敷の草原の上で夕暮れに照らされながら座っていることで僕の中の、何かの欠落が埋まる気がしていた。

 夕暮れの中にいると、身体のうちから何かが溶け出して紫色の空がすこしだけ黒くなる。よく見てみると、僕だけじゃなくあらゆる人から何かが溶け出していく。特に街の中では顕著だった。色とりどりの何かが身体から溶け出していくのだ。僕は自分の身体から飛び出す“それ”に目を向けた。それは言葉だった。

 空はパレットのように人々から溶け出す言葉を吸収していく。絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたみたいに最後には黒くなってしまうのだが、言葉は紫の、赤の空に吸い込まれてだんだんと夜を形成していった。それはとても興味深い光景だ。デートの約束が形を失い、始末書の言葉が真っ黒になって消えていく。身体から飛び出した言葉は意味を失いながら浮遊している。世界は色とりどりに染まり、夕暮れの赤は全てを受け入れる運命を待っているようだ。僕はそれをただ座ってじっと見ていた。僕の中から言葉が溶け出ては消えた。僕は夕暮れの一部だったし、それは僕以外のあらゆる存在も同じだった。僕の言葉が夜を作っていったし、それはあらゆる言葉が同じだった。

 夕暮れと夜の隙間はとても瞬間的だ。線香花火のように最後の強い光を発しながら海に、木々に、ビルに消えていく太陽の最後の瞬間を捉えることなんてできない。昼が夕暮れに変わるように、また一瞬で夜が来る。夜は言葉だから。僕は少しだけ息をしやすい。朝は祈りだから、時には心が苦しい。全てはバランスのなかにあって、僕は揺らぎながら曖昧になりながら夜になっていく。

 僕は夕暮れの中にいることが得意だ。それを履歴書に書いたら、書類選考で落とされてしまった。趣味・特技なんて決められないくらい、僕は曖昧だった。最近はスパイダーソリティアに熱中しています。フェレットのしつけです。こんばんは。どうか良い夜を。