ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

キュビズム

 まっすぐに伸びる一本道があった。周囲は広大な草原で、平原の中にポツポツと、倒れこむ人のような木が生えている。視界の最も遠い場所で地平線が広がっていた。空気は今もカラカラに乾燥している。足元に続く道の上だけ草が刈り取られて肌色の地面がまっすぐに続いていた。周りに動物の姿はなかった。このサバンナの上で、僕だけが動いている。

 折れ曲がった木が風にそよいでガサガサと程よい音量の音を立てた。折れ曲がった幹から分岐した枝の上に緑色の髪の毛のような葉が茂っていて、その葉っぱが擦れる音だった。大きくもなく、小さくもなく、長くも、短くもない音量で葉っぱはそよぐ。

 僕はそういった音を聞いたことがない。都会には、体が飛び上がるような音か、耳をすましても聞こえないような音しかない。サバンナは動物としてリアルな音しか聞こえない。いま見えている風景は普段ならテレビやパソコンに映った虚像でしかないが、都会の鳴らす音の方が芝居がかっていて何事も大げさなようにも思える。バーチャルみたいだ。

 太陽は西側に傾き始め、草原はほのかにオレンジ色に染まった。木の影はさっきよりも大きく伸びている。風は止まらない。過不足ない音を立てて草原はそよぎ続ける。視界はオレンジの空と、地平線と、木と、草に覆われていた。そこに影が加わり、陰影は平面的だったサバンナの風景を立体的に浮かび上がらせる。

 夕暮れの草原は、三次元空間の中にさらに三次元の空間があるように見えた。立体の上に立体が積み重なっている。立体的な草原が僕の前でまっすぐに屹立すると、そそり立つ草原の中腹から木が草原の内側に向かって生えている。立体感の中に平面があり、平面の中に立体が浮かび上がった。

 夕暮れの影は視覚に少しだけ変調をもたらすようだ。この変調は喜ぶべき異常だった。僕は薬をやったことがない。薬をやる奴はサバンナに来ればいいと思った。薬のダイナミズムは都市のように大げさだ。大きいか、小さいかのどちらかしかない。

 夕暮れの終わりは静かな紫色。風も一瞬だけ凪いで、あたりは神聖な静寂に包まれた。足音だけが鳴って、静寂に吸い込まれる。立ち止まり、静寂に耳をすませた。心のどこかで、太鼓の音が聞こえる。これは僕のビートなのだろうか。心臓は太鼓なのか。視界の一番遠くで地平線は暗く閉ざされている。

 そして真っ青な夜が降りてきた。風はにわかに吹き始め、草原は木のそよぎに包まれた。空には雲が出ている。乾いた夜はひどく冷え込む。歩き始めた。何も持っていないし、どこへ行くのかだって知らないのだ。月は金色に光って、草原の向こうへ手を伸ばしていた。星がまばたいた。月も星も、ときおり雲の向こうに隠れて、それでも光を放ち続けていた。何百年も前の光が

僕の目の中に飛び込んで夜に呼吸をする。風がそよいで体を冷やしていく。キリンのいないこのサバンナでただ歩みを進めている。