ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

さかな的な船の使い方

<魚の住処と船>

 結合してる水のひと粒ひと粒が肌にぶつかるのを感じる。塩分濃度の高い海の、揺れの中でひたすら日光に当たっている。海面で遮蔽された光はゆらゆらと不安定に揺れて、いつだか冷たい海で見た幻影にそっくりだった。

 人間たちは流氷やオーロラを見にやってくる。僕らは頭がいいから、人間の言葉も、人間の目的もわかる。世界が広いであろうこともなんとなくわかる。氷を掘削しながら進むあの暴力的な乗り物の死骸がいくつも海の底に沈んでいて、そこは僕らの住処になった。海藻や岩を運んで遊んだり、小さな生き物の隠れ家になったりした。機械はただそのものとしてそこにあったから、僕らは自由に意味を付与して、つまり自由に使うことにした。

 機械の中には広い岩礁のような影もあれば透明な壁もたくさんある。僕は背びれをパタパタさせて上と下へ行ったり来たりした。隙間に入っては出て、突起に体を押し付け、離れた。大人は機械の奥深くに入ってはいけないというけれど、僕は入り込めそうな隙間があったらどうしても飛び込みたくなる。あの恐ろしいウツボやサメから逃げるためにも、僕たちが入り込める小さな穴はたくさん知っておいたほうがいい。

 僕の仕事はここにあった。誰も言わないけれど、僕は確信していた。ここにあるのは物、それ自体だった。色とりどりの鉄やガラスやさまざまな鉱物たちが折り重なり一つの空間を形作っていた。僕はその空間を切り取って、安心して眠れる場所を増やそうとしている。巣作りだ。何も動かさないし何も壊さない。その場にある空間を見つけるというだけの巣作り。僕には実際、空間を見つける才能があった。赤いランプの下に目をやった。そこは地面とスレスレの隙間があって、ちょうど僕なら入り込めた。背びれを小さくはためかせて赤いランプの下に潜り込んだ。透明な海の体内で、機械が血を流しているように見えた。僕はなんとなくまどろみの中にいた。

 

<ランプ職人的存在論>

 灼けるような夕方が来た。僕は飲みかけのペットボトルを飲まずに捨ててしまった。河川敷では少年野球の後片付けが厳粛に進行している。神話の中の登場人物みたいに、静かな顔でグラウンドを平らにしている。このまま海に出るまで歩いていようと思った。海にはきっと夕陽が差していて綺麗だろうと思った。

 視界の先で空はなんとなく赤い。理由もなく赤い。そのことがなんだか心強かった。水に浮かぶ夕陽の赤を想像した。青い水の中で赤はどんな風に見えるのだろうか。どんな風に揺らめくのだろうか。僕には想像することしかできない。それはどうして揺らめくのか、どうして海は揺れるのか、この世界の仕組みはどこで作られ、誰がなんの目的で運用するのか。僕はその考えに存在論と名前をつけた。名前がついて安心したのか、それ以上疑問は浮かばなかった。

 存在論という身体。その言葉は言葉としてのみある。理由のない容れ物だ。言葉は定義を待っている。理由なく存在する自分の身体を満たすものを。しかし意味は無限に現れ、定義は無限に行われるから、空っぽの身体はすぐに満たされ、溢れてしまう。僕はカバンの中から眼鏡を取り出して空を透かして見た。少しだけ空に近づいた気がした。

 プラスチックの硬いフレームが僕の視界を枠の中に取り込む。プラスチックの囲いを作るのが僕の仕事だった。といっても眼鏡のフレームではない。非常用ランプの赤い囲いだ。僕の工場では囲いを作り、電球ににかぶせてランプとして出荷した。ランプではない諸存在がランプとして結実する瞬間を日々何百と見ていられる、感動的な職場だった。

 光を作るもの、回路の集まり、40%の鉄、羽虫を呼ぶ機械、電球のことはいくらでも定義付けできた。ただ、最もポピュラーな名前が電球だっただけだ。それにある枠組みを与えると、つまりプラスチックで囲うと、電球はランプになる。僕はその囲いを作るスタッフだった。パソコンでデータを作り、それを元に機械が自動でプラスチックを囲いにしていく。電球と、プラスチックの持つ無限の意味の世界を加工して、ランプにしていく。僕たちは電球とプラスチックの可能性を一つずつ丁寧に消去して、最終的に一つの意味以外を切断するために働いているのだった。

 僕の作ったランプは主に船に使われるらしい。船には非常事態の可能性がたくさんあるから、非常用ランプもたくさん必要なのだという。僕の会社は儲かっているらしかった。そんなことはどうでもいい。僕は電球を囲って、プラスチックを加工して、彼らの意味を狭めるだけだ。だが、ランプもいつか、ランプ的な生き方を捨てて、別の意味をその身に宿してほしいとも、思った。これが親心である。ランプのような夕日はまだ空に明るい。急げ、でないと海に着く前に太陽は落ちていってしまう。