ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

全ての女々しい僕らのために

 誰かに迎えにきてほしい。そう思う自分を恥じている。だけど、本気で思ってる。お姫様になれないって知ったのはいつだっただろうか。かわいくなりたいって言うのをやめたのはいつだっただろうか。悲しいくらいに僕は男だった。

 アーバンギャルドが好きだ。パスピエが好きだ。かわいいものが好きだ。おままごとで、女の子の役を演じたらみんなから変だって言われた。だからレゴ・ブロックで女の子を作った。僕は男の子だったし、男の子という地面の上にレゴ・ブロックはピッタリと合う色だった。保護色。擬態。

 女の子は女の子として生まれる。男の子は、何者でもなく生まれて、頑張って、踏ん張って、我慢して、ようやく男になるんだって、誰かが言ってた。じゃあ昔の僕は何だったんだろう?男の子でも、女の子でもない。中間の存在?中間のままかわいくなれればそれで良かったけれど、許されなかった。お姫様になれない男の子はたくさんいたから、僕だけお姫様になるわけにはいかない。

 声変わりに対抗したくて、ソプラノを歌っていた。隣で歌っていた友達に、諦めろと言われた。オクターブ下げて歌った。歌いやすかった。なにかを失った気がした。それは接点か、或いは線。世界との繋がりを一本、なくした。悲しかった。けれど僕は泣かなかった。男の子だったから。12歳の秋のことだ。

 今まで何かを失って、何かを得て生きてきた。当たり前だ。みんなそうだろう。今では僕は男の子としてしっかり生きてる。女の子との接し方も覚えたし、エスコートだってちょっとはできる。時には奢って「あげ」たりもする。そんな必要ないのに。期待されてる気がする。12歳の秋の空はもうずっと遠くにあった。手が届かないけど、いつまでも視界の端っこで震えている。

 女児向きアニメが好きだって、誰にも言えなかった。ボクがフリフリの服を着たキャラクターを見ること、それは性を孕んだ“問題”だった。僕は「ヘンタイ」で「エッチ」な男の子。かわいいものが好きなだけの、ひとりのニンゲン。アイデンティティとか社会とかイデオロギーの問題じゃなくて、ましてや教育の失敗でもない。フェレットのしつけ。かわいい名前で、気に入ってる。

 僕は異性愛者的な異性愛者だ。そして男性だ。それだけで、社会の中で優先される立場にあるらしい。優先なんかされなくてもいい。そう言えることに暴力性が含まれているのだろうか。僕は友達とお互いを罵り合って遊んでる。お姫様になれない僕らは、お互いをいじめ合うことでしか生きられなかった。磨かれて強くなるなんて嘘だ。僕らの悲しみには、ホモソーシャルって名前が付けられて目下研究中である。戦いごっこよりおままごとの方が好きだ。罵り合うより、お喋りがしたい。夜は秘密を打ち明けられる、魔法使いのかわいい時間。全ての女々しい僕らのために、夜はやさしくて、どこまでも暗い。