ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

このブログを読んでる人は死なないで欲しい

 このまま死んでもいいくらい幸せな夜も、死にたいと思った夜も、明けてしまえば次の日があって、生活は続いていく。そう簡単には死ねない。

 その事実がぼくを救ってる。死ぬのは良くないよ。どうして良くないかなんて、誰も知らないけど。

 今日死んでもいいって興奮を毎日続けるのは、胸が締め付けられて脳が混乱して、辛い。一人で静かにしているのは、楽だけど、退屈で死にたくなるね。昨日はバスに乗りました。たくさんの人が駅に向かっていました。みんなでいるのに、みんな笑っちゃうくらい一人だったね。

 好きも嫌いも、できるもできないも、目を瞑ってじっと、何も考えないでいる時みたいに、全部なくなってしまえば、もう何も考えなくていい。上手でも下手でも、ヤバくてもヤバくなくても。透明でも、透明じゃなくても。言語による文節化を止めて事物をそのままに見る、と仏教者なら言うだろうか。

 結局俺は、老いさらばえる。若くて綺麗なまま死にたいと、美人の女子高生が言う。発展がもたらしたのは、僕らが動物園みたいに管理されて、なんだか体に合理的に、健康で正しく生きることを強いられた世界みたいだ。病院食は美味しくないって言う。入院は嫌だって言う。でも、健康は求める。自分の自由が拘束された感じになるのは嫌だよね。でも、社会みんなが病院化して、間接的な入院状態になるのは結構良いってことになってるみたい。こんな話、少し意地悪だね。

 ぼくはいまなんでも持ってる。顔はいいし体は動くしみんな若いってだけでチヤホヤしてくれて、歌だってうまいし女の子にもモテる。死んでもいいってくらい幸せな夜だってある。でも、結局は死なない。生活が続いてく。そしていつか死ぬ。死ぬ前には必ず老いる。持っているものを失い、自信をなくし、疎まれ、一人で死んでいく。たとえば凄まじい宗教者になって、みんなに涙を流されながら息絶えたって、一人で死んでいく。何人と一緒に死のうが、一人で死んでいく。後追い自殺をいくらされたって、一人で死んでいく。自分の墓に何百人もの奴隷を生き埋めにした昔の権力者たちはたぶん、寂しかったんだろうなあ。一人で死んでいくかどうか知りたかったんだろう。でも、一人だから楽しい。一人だから書ける。一人だから歌える。一人だから作れる。一人だから練習できる。一人だから幸せ。みんなといるのも幸せ。一人だからつらい。みんなといるのもつらい。

 幸せとか、つらいとか、一人とかみんなとか、上手とか下手とか、価値判断を全てなくしてしまえば、価値判断によっていくつも無限に広がってしまったぼくの世界は終わって、もう言葉も必要ない。

 幸せでも、幸せじゃなくても、僕らは意味もなく生きてる。意味があってもいいしなくてもいい。認められるのもいいし認められなくてもいい。ぼくはこのまま死んでしまいたいのかもしれない。けど、上手くいけば死なないままに明日が来る。明後日が来る。生活が続く。意味もなく生きる。

 意味がなくても、それでも死ねないことに感謝して、死なないままに生きていこう。意味もなく生きてればどこかで出会って、死んでもいいってくらい幸せな夜を一緒に過ごせるかもしれないよ。

 ぼくは、けっこう真剣に、これを読んでくれてる人に死んで欲しくない。ここまで読んでくれた人は、死にたい人が多いと思う。それぞれに理由があり、それぞれの苦しみがあるんだろう。地獄の共有は決してできない。死は尊いよ。言葉の上でも冒涜しちゃいけない。生は尊いよ。みんな知ってる。なのに、なぜか言葉のうえでも、行動でも、冒涜され続けてる。だから尊い死を選ぶのもわかる。  

 けど、これは俺のエゴだけど死なないで欲しい。幸せでも、幸せじゃなくても、このブログに来る人は意味がなくても生きていて欲しい。ロマンチックに言えば、時折ぼくらは交わって、幸せな時間を過ごせる。

 

サニーデイ・サービス『透明でも透明じゃなくても』

https://youtu.be/5JkGsQ5BKTE