ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

社会の役に立てない

 電車のなかで、神さま、ぜんぶあなたのおかげです、って詩を聞いた。https://youtu.be/mBeNpz0nMPs 僕はその詩をすごくいいと思った。

 電車に乗るぼくたちは、絶対的に孤独である。何百人と集まって、一つの電車に閉じ込められて、誰とでも近くにいるのに、誰とも連続していない。

 神楽坂駅に着いた。神が、楽しむ。坂。神さま、ぼくがキスをしたら、ああ、下手くそ!なんて凡庸、なんて陳腐。スラスラと素晴らしい文章が書けたら、どんなに素晴らしいだろう。

 目の前の座席が空いたので座る。ぼくの手が止まって、書かれつつある文章が止まった。文章が止まった時、僕の世界に起きた沈黙を文字で記すために費やされたのはたった一個の、だった。

 あの娘に会うのに持っていくべきものは何だろう。金木犀の香水か、それともピンクの、一輪挿しの、根っこのないお花なのか。完全じゃないものの方が美しいと思う。だからどんなに不格好でも、傷ついてるものの方が綺麗だ。人間だってちょっと傷ついてる方が魅力的だ。ほんとうなら、傷口だって愛せないとセックスなんてできない。俺はなぜ生まれてきたんだろう。それは親がセックスしたからだ。

 しのぶれど音に出にけり我が恋は、と詠った詩人の切実さのかけらでも僕にあればよかった。そうすればすこしは、意地悪な自分を恥じないですむ。

 しのぶれど、色に出にけり、わが恋は。人に知られないように心に秘めてきたはずの恋心だったのに、ふとしたときに「顔に出ているよ」と言われてハッとする瞬間の詩だ。

 そんな風景、大学にも、子供のころの記憶にも、制服の裏側にもどこにもない。コウノトリのサブリミナル。誰かと子供を残したい、そんな気持ちはかすかにもない。なのにセックスをしたがるなんて僕はわがままだ。

 


  シャム双生児のように、思考の共有はないまま体が一体でいるのはどんな気持ちだろうか。きっとぼくらの名前は脳につけられた名前なんだろう。一つの体に二つの頭だったら、二つの名前がつけられる。腕が一本、足が一本多くても、名前は増えない。僕らの名前は脳に、自我に、つけられる名前ということだ。

 それはとても良いことだ。

 ぼくが、ぼくだと思ってるこのぼくは、集合体としての存在だ。それは分子の、原子の、あるいはもっと小さな微粒子の、集まりとしてのぼく。集合体なのに、どことも繋がれないぼく。それぞれの自我は結局のところ絶対的に孤独だ。電車のなかにいるすべての人と同じように。深く青く、透明な色をした綺麗な地獄のように。切り取られたひとつの詩のように。

 新宿で降りた。