ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

わたしのかわいい地獄や苦しみをメンヘラなんて言葉に回収しないでほしい

 大丈夫だよそんなに心配しなくて。この世界はもっときっと優しいよ。

 電車のなかで赤ちゃんが泣いてハラハラする親を存在させてるせかいの事実が遠回りでぼくを大きく傷つけてるんだけどそれは、

 結局のところ自分の苦しみを人に投影しているだけで、誰かを救おうなんて思ってないし役に立とうなんて思わないよ。誰かの役に立つことや誰かの悩みを解決することが商売になるんだって情報商材に書いてたねありがとう。ぼくはその情報で救われなかったけど、きっと世界のどこかで誰かがなにかによって救われてる。円環のようになってる優しさのなかから少しはずれたぼくをグローバル化する社会なんて大きなものに勝手に巻き込まないで欲しいし、ぼくはぼくのために愛するひとに幸せでいてほしいよ。

 こころのなかに住んでる「社会人くん」がぼくに一般論を投げつけてくるそのたびにぼくは少しずつ死んでいるんだけど、それは一般社会とも、そこに住んでる社会人とも関係のない人なんだ。

 「就職しないで生きていけるの?」とか「メンヘラだって思われたら恥ずかしいよ」とか。ぼくは結局じぶんのことを知ってほしいわかってもらいたいだけなんだその純粋でピュアで正直で素晴らしいものなんだよって無理矢理肯定してみるけど、本当はグロいこころをグロいままに愛していたい。

 なにかのことを好きすぎて殺したり死んだりしちゃうのはこころのなかではよくある事で、現実でもけっこうある事です。

 ぼくらはみんなちょっと病気でちょっとかわいいんだよ。そのことにいいも悪いもないけど、そのキュートさを、個別の地獄や苦しみをメンヘラってことばで片付けたくない。

 「病み系業界」とか「どこの層を狙ってるの?」とかそんな声も聞こえてきて、ぼくの頭はいま戦争してる。使い古された病みとか、アーバンギャルド大森靖子の二番煎じ三番煎じになるだけだなんて頭のなかでぼくがぼくに言ってるんだ。

 経済に全てを落とし込んでポジション取りしかしないなんて狂ってる。ぼくは結局自分のことを知って欲しいわかって欲しい、同じ苦しみや似た苦しみや面白いと思ってくれる人や愛してくれる人に愛を届けたい一人じゃないんだよって言いたい一人じゃないんだって思いたい。

 小学生のとき、「書く文章がすこしネガティブすぎるし淡々としすぎ」って言われてそれから文章書けなくなった時期があったんだけど、あの先生のことを恨んでいるような恨んでいないような気がしていて、正しくいえば恨んじゃいけないような気がしてる。

 今でも思い出す。今でも、不快だったらどうしようとか思う。それでも俺は俺の文章が世界でいちばん好きだからこれでいい。なんて言われたって辞められないからいいんです。こうして書いた文章がそのまま詩になるように生きていければそれでいいんです。なんて言うとすこしロマンチックすぎて恥ずかしくなるね。甘くてかわいい病気をお持ちの方がいたらぜひご一報ください。アンチも歓迎しております。