ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

大丈夫、きっとうまくいくよの日記

 「それはあなたが不安障害だからです。」

 と言われた。わたしは「どうしてこんなに苦しいんでしょう?」と聞いたんだった。

 そうか、わたしは不安障害だから苦しいのか。と、納得する。わたしは答えを求めていた。問い続けることに疲れていたから。

 精神科の先生は若くて健康的で前髪がセンターパートで短髪の、スポーツをやってそうな男の人だったから、わたしはこの人はエリートだと思った。

 先生はパソコンをかちゃかちゃ叩きながら、「自分のやりたいこととやりたくないことを三つずつ書いてきてください。一週間後ですよ。」と言う。不安障害だから苦しい。その不安障害は、やりたいこととかやりたくないことを書き出すと治る。

 わたしは「はぁ...」と返事にならない返事をして、それからハッと気づいて先生の顔を見た。きちんと返事しないなんて、怒られるかもしれない。先生は健康的な顔をパソコンに向けながら、「よろしくお願いします」と、念押しだか挨拶だかわからないような言葉を発する。顔は怒ってなさそうだったから、少し安心して、わたしは椅子から立った。

 家へ帰るまでの道に、コンビニはいくつもある。その中のひとつに入って、バナナと野菜ジュースを買った。わたしは食欲のある人間だったから。それに、食べないと薬が飲めない。向精神薬というのをもらうのは初めてだった。薬局で薬をもらうとき、薬剤師さんが「不安を鎮めるお薬です。飲んでいるとお腹が痛くなるときがあるので、そう言った症状が出たらご連絡ください」と言ってくれた。心が弱いと思われていないだろうか、と思う。こんなことを思う時点で心が弱いのだ。笑顔でありがとうと言って薬局を出た。少し前の話だ。

 きっと不安というのは一般論と物語の暴走なんだろう。「精神科に行く人間の心は弱い」という自分のなかの一般論がある。「心が弱い人間は蔑まれる、あるいは弱い立場におかれる」という一般論もある。だから、「人に精神科に行ったと知られると弱い立場に置かれる」という意識が形成される。だから、心が弱いと思われていないか不安になるのだ。理由はわかった。

 私の心が弱いというのは状態だ。一つの状態。それを知って相手が自分を蔑むことと、直接関係があるわけじゃない。でも、「心が弱い。だから人から蔑まれる」と言うとなんだか説明が済んだような気がする。だからという接続詞が、関係のない二つの事柄を結びつけてるに過ぎないのに時系列順に、因果関係があるかのように話すと、大体のことが説明された気になる。これが物語の効果なんだろう。気づいたってけっきょくは苦しいままだけどね。

 家に帰るには公園を通って行くのが一番近い。木陰のベンチでお兄さんが休んでいた。お兄さんは緑色の、運送会社の制服を着ている。コーヒーを右手に持って、左手でスマートフォンをポケットにしまった。

 むかし「あなたはなぜ上手くいかないか理由がわかれば大丈夫だよ。だってその上手くいかない理由を潰していけばいいんだから」と言われたのを思い出した。理由が分かったってどうしようもないことなんて、いくらでもあるのになあ。「不安障害だから苦しい」なら、「不安障害を治せばいい」という解決策が生まれる。でも、簡単じゃない。「生きているから苦しい」なら、「生きるのをやめる」が解決になるんだろうか。そんなことはない。理由なんて無数にあるし、人間が勝手に因果関係に落とし込めば、理由っぽくなるんだから、答えや理由を信じすぎてもしょうがない。

 じゃあ、何を頼りに生きていけばいいんだろう?

 この問いが、わたしにとって不安の根本なのかもしれない。気づいたらお兄さんはもういなかった。わたしは、労働もしないでこうして考えているうちに世界を見失って、目の前で起こることに集中できないでいる。そんなことに理由があるのか、理由がわかれば、改善できるのか。そうはどうしたって思えなかった。

 でも大丈夫、きっとうまくいくよ。

 きっとうまくいく。どこにもよりかかれない。答えや理由がない不条理がこの世界なら、希望も不条理だ、きっと。

 理由なく苦しいならたぶん、喜びにも理由なんかない。誰も答えをくれないし、自分でも理由を用意することはできない。だから大丈夫、きっとうまくいくよ。不条理に傷ついてしまうのがわたしなら、わたしは不条理にわたしを信じられる。世界が意味もなく苦しいなら、世界は意味もなく幸せに満ちている。