ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

余剰思考のぷろろーぐ

 きっと言葉にしなかったからだろう。

 ぼくの疲れも、存在のくるしさみたいなのも。

 たとえば「いちごドア未満」という言葉をつくって、世界に放出したら。

 言葉は形を求めるかもしれない。

 宇宙の果てから流れついた、さみしい物体エックスみたいに。

 それは円筒形で、緑色で、金属質で、ピカピカ光る。ピクニックに持っていく。ベッドタイムを見守る。晩酌の相手をして、ランドセルのなかから、アヤカが嬉しそうに取り出す。

 ぼくは言葉にしなかったのだろう。

 言葉にしなかったいくつもの物体エックスが、身体を求めて世界をさまよってるから、きっと、くたくたになった、死にたくなった。

 

 レコードにジャケ買いという文化があって、本にもきっとある。装丁買いだろうか。想定外の言葉だった。あるいは、背表紙買い、タイトル買い。

 この間、『生きるよすがとしての神話』をタイトル買いした。

 


 無秩序に知識を仕入れると、ふとした瞬間にその知識が自分の意識に浮かんできたりする。

 だから、その瞬間聞いていて意味がないと思った知識でも、どうなるかは死ぬまでわからない。死ぬまでわからない(永遠に分からないかもしれない)というのがもどかしい。

 死ぬまでわからないのが怖い。だから、役に立たなそうなものや、結果がわかりにくいものを役に立たないと断じてしまう意見が多いんだろう。余剰思考や余剰エネルギーや余剰物資がない。過剰思考はたのしい。

 


 だからきっと、ぼくらは着ぐるみみたいに。いくつもの比喩を繰り返し洗って着てわたしみたいに、あなたらしくなる。

 こういうのは役に立つ側の言うことだなあと、書いてからきづいた。

 役に立つ情報は無数に、無限に生まれるので、役に立つの限界を求めるのはむなしい。ここは役に立たないメディア。

 世界の余剰物資を担い、進行をすこし停滞させる。世界のスピードから少しだけ逸れる。そのことで、誰かにとってこの世が居心地の良い世界になればいいなと思ってるかもしれないし、何も考えてないかもしれない。

 ぼくにとって居心地のいい場所が、きっと誰かにとって居心地のいい場所なんです。これは傲慢ではなく、自惚れでもなく、ひとことで言えば疲れたと言うために1000文字を費やす、大いなるムダの実践なのです。