ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

自分を守るための教条主義入門

 ダメだと言われるのが怖い、という人がいる。自分のやったことひとつでもダメだと言われると、人格を否定された気になってしまってナーバスになったりパニックになったりする人だ。

 そういった人々に対して周囲の人間は「考えすぎだよ」とか「気にしないで」とか、下手すると「あなたのためを思って言ったのに」とか言ってきたりもする。ダメだしが怖い人はその言葉に絶望して心療内科に駆け込むんだけど、帰ってくる診断は不安神経症パニック障害といったもので、これで公的にダメ出しされてしまい落ち込み、死に至る。

 こういったことは、ハタから見ていると結構笑えるはなしなんだけど、実際には笑い事じゃなくて現実にたくさん起きている。

 では、なぜこのような悲劇が起こるのだろうか。

 それは、ダメ出しには少なからず人格批判の要素が入っているからだ。そもそも人格とはなんだろう。

 コトバンクを見ると「人格」とは

『独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。』

 と、定義されている。

 人格とはそのひと特有のあり方なので、そのなかには他人にとっていい部分も悪い部分もある。

 そして、その特有のあり方は行動と切り離して考えることはできず、つまり行動を批判されるということは(ダメ出しは)、人格批判でもあるということだ。

 「ダメな部分だけ直せばいいんだよ」と言う人がいるかもしれないが(ダメ出しで傷つく人間の周りには確実にいる)そもそも人間はダメな部分と良い部分に分けてダメな部分だけ変化を起こせるというものではなく、それらが関連しあってひとつの人格を形成している。ダメとされている部分を直せば、きっと良いとされている部分も変わっていくんだろう。次の瞬間には「なんか、変わっちゃったね...」と言われる。そしてその感想が出たとき、変わった当人は至極正しく変化する道を歩んでいると言える。

 行動を改めるためには全人格的に変わっていかなければいけない。行動はエートスに結びついて行われるものだからだ。

 ダメだしで傷つく人間はひどく純粋なんだろう。体のなかにある言語の構造も純粋で、言葉の定義を純粋な形で保存してる。だから、こうした行動と人格の結びつきにも敏感で、行動だけを直せば良いというウソやごまかしを拒否してしまう。

 傷つきやすい人の心の声はこうだ。

 「わたしはありのままの自分をさらけ出してそのままやったのに、それがダメってことはありのままの自分ではいられないってことなんだ。だからありのままのわたしは他人にとって必要ないんだ...。」

 これはぼくの心の声だ。このとおりめちゃくちゃ極端。でもそれはしょうがない。極端な人に「極端に考えるのをやめなよ」というのは無理だ。野球選手に対して「ヒットを打てよ」とアドバイスしているようなもので、正しいけどそう簡単にはできない。

 何が言いたいかというと、ダメだと言われるのが怖い、ということを気に病む必要はない、ということだ。「気にするな」の声を気にするな。傷つくものは傷つく。それが分かったら、つぎに大事なのはどうやって自分を守るかだ。

 

 自分を守るために禁止事項を設けたほうがいい。本当の柔らかく壊れやすい自分はしまっておいて、禁止の鎧を着ることによって、柔らかい自分の傷つきを回避しよう。

 ルールを守るためには権威的に、教条的になる必要がある。

 傷つきやすい人は、権威主義教条主義がいちばん嫌いなはずだ。ウソやごまかしが嫌いだからね。でも、この場合は権威があればいい、ルールを守ればいい、という二元論が自分を守ってくれる。多くの人はウソやごまかしには気づかない。気づく人がいたら、それは仲間だから本当の姿を見せれば仲良くなれるかもしれない。

 傷つきやすい人はルールを守ることは得意だから、どんなルールでも自分で作れば従う。たとえば強引さが足りないなら、『ルール1:お願いしない+100点』とか。このとき点数をつけるのがコツだ。言葉に敏感なので、点数をつけることでゲーム感覚で楽しめる。

 ありのままの自分で他人にぶつかって行かなきゃ意味がない。本当にそうだ。だけど、自分の誠実さとか真面目さに応えてくれる人は少ない。真剣にやればやるほど人は離れていくし、離れない場合はいじめてくる。

 そうじゃない人ももちろんいる。でも、大勢を相手にしなきゃいけない場合はどうしても他人とぶつからなきゃいけない。そういう時は人間とは残酷で不誠実なものだと諦めて、ゲームの内容を変えてしまおう。

 ルールをいくつ守れたかな?ゲームをやろう。

 そうすれば、失敗して人から責められても、ゲームひとつ分のことだって相対化できる。実際にはそんなに楽ではなく、いくらやってもかなり傷つくことは知ってる。それでも、痛みが軽減されていることに気づくはずだ。