ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

まじめな僕と生きづらいあなたのために

 人と関わるとき、まじめではたぶん、好かれない。かなしいけど、ほとんどの人からまじめな人は敬遠されちゃう。簡単に、ユーモアを交えて、知らなかった世界をみせてくれたり、価値観を転換してくれる人、そして自分の無力さを感じさせないような人がモテる。承認欲求を満たしてあげるためには、余裕が必要だ。その余裕を人はきっとユーモアって言うんだろう。でもそれって本当のこととか真剣なことの濃度を下げるってことだから、まじめな人にはつらいよね。

 人になにかを伝えるためには、ちょっとふざけなきゃいけない。底や弱みを見せてはいけない。なんでかって?真剣に話を聞いてくれる人は少ないからだよ。

 こうしてぼくの文章を見てくれる人は、真剣に話を聞いてくれる人だってことは知ってる。だからぼくは結構まじめなトーンで文章を書いてる。そしてきっとこの文章を読んでる人は、まじめになにかを伝えたい人でもあるだろう。まじめに伝えたいのに、真剣に話したり本当のことを言おうとすると、みんなが離れていくって経験だってしてるはずだ。かなしいよね。

 人間は、快感をもとめて苦痛を避ける。君のまじめさはきっと、誰かにとっての苦痛なんだね。それは間違ってる。君は正しい。苦痛だからといって真実から目を背けるのは誠実じゃない生き方だ。

 君は、ぼくらは、自分とちがう正しさを受け入れるだけの柔軟さも持っているから、誠実に議論を重ねれば、誰とだって分かり合えるってことを知ってる。たとえ分かり合えなくても、違った正しさを共存させたり、妥協点を見出すことさえできるってことも知ってる。お互いが誠実な態度で話し合えばね。その誠実さは苦しいけど、本当の人生はその苦しみの先にしかないことだって、知ってる。なのに、みんなは本音を隠して、苦痛を避けて、本当のことを言わないままに、楽な方向に流れつつ、文句を言える場面でだけ文句を言って、なんだか満足してるみたいだ。なにひとつ前には進まない。声が大きかったり話が上手な人がウソでも、欺瞞でも自分の意見を押し通していく。むなしいよね。話が通じないんだ。声が届かないんだ。それに対抗するにはユーモアしかないだろう?

 ぼくらはふざけなきゃいけない。辛口のカレーにひとつまみの砂糖を入れるみたいに、すこしだけじぶんを偽る必要がある。

 君は賢いからきっともうそのことに気づいてるんだろう。そしてきっと、実践だってしてるはずだ。伝わるよね。クラスのなかで正しいことを言うためには、正しくないことや無意味なことを言わなきゃいけないんだって、絶望する。むしろ、正しいことなんてほんの少ししか受け入れてもらえない。正しくないことや無意味なこと10個に対して正しいこと1個ようやく受け入れてもらえたらラッキーくらいの感じかな。

 そう。少しふざければたしかに伝わる。でもそれはむなしい。かなしい。疲れる。本当に言いたいことはこの何倍も何十倍もあるのに、じぶんの粉飾した部分だけを見て、いい人だとか、面白いとか言われても嬉しくないよね。

 深海魚が灯りを灯すみたいに、ユーモアやおふざけで人を集めてきたぼくらは、いざ本当の自分をさらけ出す段になると、こわがってしまう。でも、きみの、ぼくらの、本当の輝きは正しさのほうにある。正しさへの愛にある。じぶんの正しさも他人の正しさも、それら全てを包含して尊重するだけの愛。とてつもない愛の総量を持ってるはずだ。誠実さと言ってもいいし、まじめさ、とか体力、とも言えるね。

 正しくないものや無意味に思えるものが尊重される時代のなかで、君はきっと苦しいはずだ。不器用なぼくのために神は救いを与えてはくれないかもしれないけど、ふざけることは救いを与えてくれる。

 ...でも実は、そのなかで輝いてる正しさに、ひとかけらだけ残った正しさに、ほんとのほんとは救いを見出しています。

 おやすみなさい。宗教とかじゃないよ。ぼくのための言葉を書いたんだ。ぼくのための言葉が、あなたのための言葉でもあるなら、それほど嬉しいことは他にありません。おやすみなさい。ありがとう。