ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

人にできるだけ期待をしてもらおう!

 期待はできるだけしてもらった方がいい。

 なぜならその方が見ている人にとって面白いからだ。見ている人が面白ければ、自分にもまたメリットが来る。

 今日はこの、「期待」について考えてみようと思う。

 期待をかけさせる、期待させる、というのは相手を可能世界に引き摺り込むということだ。

 全ての行動にはいくつもの可能性があり、その可能性がどこに転がるかわからない。

 自明だと思われていることだって可能性の間で揺れ動いている。

 いま踏み出した右足がつってその場で倒れて頭を打って打ちどころが悪くて出血した場所から菌が入って意識を失い、なんやかんやあって世界一の大富豪になるかもしれない。

 可能性の世界を見るのはとても面白い。

 そして期待をさせるというのはその可能性の世界、自分の可能性の世界に人を引き摺り込むということだ。

 だから、期待はかけてもらった方が色々と得なことも多い。期待した人も面白いし、自分もメリットを得られる可能性がある。

 注目されたくない人はやめよう。期待されると必ず注目されてしまうから。僕は自己顕示欲がヤバイので、劇薬たる期待とはいい距離感を保とうと思ってます。

 裏切ったっていいのだ。というか、期待は裏切られるために存在する。

 期待とは、成功と失敗の可能性のどちらかに賭けるということであり、また賭けたとしても、その賭けは常に成功と失敗の可能性を孕んでいる。この入れ子構造の可能世界へのコミットのことを期待と言う。

 自分以外の可能性に対し、自分の可能性を持って主体的に決定する行為とも言えるだろう。

 どのような事態も、可能性は複数存在する。結果が出た段階でそのいずれかは必ず裏切られるのだから、期待とは必ず裏切られてしまうものだ。

 裏切るというのは悪いことじゃない。

 悪い方向に裏切ると詐欺と呼ばれてしまうが、良い方向に裏切る分には一切構わない。それどころか人は熱狂する。賭けというのはどっちに転んでも面白いのだ。だからギャンブルは流行る。

 また、何かの事象にたいして、成功の側に賭けるのが期待であり、失敗の側に賭けるのは、特に言葉はないが足を引っ張るとか、そのまま失敗を願うとかそういう言葉になるだろう。しかしこれは、自分がしたその賭けに成功することを予期した上での賭けなので、これもまた自分の決定に対する期待である、

 期待とは自分以外の状況と自分の主体性の入れ子構造であるから、あらゆる賭けは期待を内包している。

 つまり、期待させるというのは他の誰かを賭けに乗らせるということだ。賭けというのはうまく行ってもうまくいかなくても注目を集め、面白い。

 そして期待をかけさせるという行為もまた大きな賭けとなる。なぜなら、注目を集める分、その成功と失敗は自分だけのものでなくなるからだ。

 成功すれば讃えられ、失敗すれば、多分いまの世の中だと炎上するだろう。よくて無視される。どちらにせよ悲しい。

 先ほど期待は劇薬だと言ったのもそのためだ。

 このように期待は非常に面白く危険の多いギャンブルだ。使いこなせばきっと多くのメリットを生むだろう。(それに比例して多くの失敗も生むけど。)

 今回は、期待してもらうためのテクニックを紹介し、他人をどのように自分の可能世界に引き摺り込むかを具体的に紹介しようと思う。

 甘く危険な期待の世界をどうか楽しんでみてほしい。ただし、自己責任でね。

 


 期待してもらうためのテクニック

①何かを勝手に「背負う」

 なんでもいいから勝手に何かを背負って立つことは、人を熱狂させる。ラグビーを例に話していこう。

 2015年、ラグビーワールドカップで、日本代表が強豪、南アフリカ代表に勝つという「事件」があった。

 あえて「事件」と呼ぼう。これは世界に大きなインパクトを与えたからだ。

 なぜ大きなインパクトを与えたかというと、ラグビー弱小国の日本が、強豪たる南アフリカに勝利したからだ。

 これは順当な予想を裏切ったことになる。

 弱小vs強豪という固定観念みたいなものを裏切ったから「面白かった」のだけど、そもそもこの括り方に注目して欲しい。

 「代表」というものの構造についてだ。

 僕は正直彼ら個人個人の選手が日本を背負っているとはつゆも知らなかった。それぞれの顔やプレーを見てもわからないだろう。それは僕が日本代表の選考委員でもないし、ラグビーに詳しくもないからだ。

 でも、ニュースを見るとどうやらその人たちが、僕の住んでる日本の代表らしい。

 そう言われるとわかる。個人としての選手は知らなくても、日本の代表と言われれば分かる。僕の代表で、僕らの代表だ。僕はラグビーができないから、代わりにこの人たちがラグビーをやって、勝敗を決めてくれる。

 そう、ここを見て貰えば分かるように、代表とはそのコミュニティに属する全ての個人の代表なのであり、選手一人一人を知らなくても、その人が代表だと言われた瞬間にその人の問題は自分のことになってしまう。だって自分の代わりでもあるのだから。

 つまり、「〇〇の代表です」とか「〇〇を背負って」と言うと、〇〇の人々はその人たちに何かを勝手に託すことになってしまう。他人事ではいられない。彼らは僕の代表なのだから。

 こういうことを言うと「いや、俺は彼らに代わりなんて頼んでない」とか「勝手に代表だと言ってるだけで俺は関係ない」と言われるのだけど、それは確かにそうだ。

 代表とは勝手に「代表されてしまうもの」だからだ。勝手に決められている。なのに個人と関わりがあるから、そういう反発を生む。個人との関わりが一切なければ、反発もなく、意識にも上がらないだろう。

 それに、多くの人はこの仕組みに気づかないので「代表」という言葉の魔力、つまり自分ごとになってしまうという事実にやられてしまい、つい期待をかけてしまう。もしくは悲観的に見る。下馬評というやつだ。

 下馬評が裏切られると、悪い方向に裏切られた人は悲嘆に暮れて、良い方向に裏切られた人は狂喜乱舞する。

 それはどちらに転んでも熱狂というやつだ。熱く狂う。人間は他の全てがどうでもよくても自分のこととなれば熱狂できる。

 なので、期待をかけてもらい、熱狂を作りたいときに手っ取り早いのは何かを勝手に背負ってしまうことだ。

 そうすればその何かに属する人の中から数%は自分ごととして見てくれて、目を離さないでいてくれるだろう。

 この時、背負う何かはできるだけ大きい方がリターンも大きい。炎上というリスクはありますが、それは個人の判断で一番美味しいところにポジションを取りましょう。

 僕のオススメは「年収300万以下」とか「素人童貞」とか、具体的で弱者感のあるやつ。

 もっと言うと、ある価値観での弱者性みたいなものを肯定できるとなおいい。

 ボリューム層として一定の数が見込めるし、弱者を背負うことで、成功した時の話題性が大きい。ギャップの大きさを楽しんでもらえるだろう。当事者集団は熱狂するかもしれない。それに弱者の側にたてば、失敗しても優しく受け止めてもらえるのだ。

 ※この文章は皮肉です。実在の人物、団体、企業などとは一切関係がありません。