ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

曽我部恵一を中心に、志磨遼平や椎名林檎の人間じゃない感じについて書いた記事

www.youtube.com

 数ヶ月前に発売されたサニーデイ・サービスの新譜『いいね!』を久しぶりに通して聞いてみた。

 サニーデイ・サービスのフロントマン「曽我部恵一」は毎年のように二十曲入りのフルアルバムをリリースして毎年歌も演奏も販売戦略も良くなっていくという変態的なアーティストで、素晴らしい音楽家です。

 もちろんそれぞれのアルバムが良いのだけど、クオリティは毎年上がっていってる気がする。恐ろしい人だ。

 恐ろしい人なのだが、彼には恐ろしさや才能ゆえの近づき辛さを感じさせない、「等身大の人間」感がある。

  それは曽我部恵一の歌にある謎の手触りと関係しているだろう。あまりにも生々しい、人間的な手触りだ。

 「コンビニのコーヒーは うまいようでなんとなくさみしい」

 「私は出て行くの 日傘をさして あなたを残して」

「キッチンでは洪水 取り返しもつかない」

 歌詞の生々しい生活感。恋に生きる少し軽薄な兄ちゃん、みたいなイメージ。

 甘い歌い口、声のトーン、音色、ギター、アレンジ、その全てが非常に人間的で日常的で親しみやすい、親しんでしまう、変な話だが、同じ目線で共感してしまう手触りがある。

 

www.youtube.com

 志磨遼平というアーティストがいる。

 これを読む人は、彼についてどのようなイメージを持っているだろうか。ペテン師、悪魔、それとも救世主か、ヒーローか。人間とはちょっと違うのか、それとも極端に人間的なのか。

 おそらく、この中のどれをとっても、そのすべてを合わせても彼の一部でしかないだろう。

mag.digle.tokyo

 イメージ一つとっても志磨遼平は変幻自在で安定しない。僕たちを幻想で惑わせて、彼の人間性にはどこまで行っても近づけない気がする。

 しかし、そういうイメージと反対に彼が作る曲は音楽の構造上とても安定している。

 コードもリズムもカチッとしていて、ロックやポップやファンクなどそれぞれの様式にピッタリはまった曲を書くのが非常に得意だ。

 きっと音楽がめちゃくちゃ好きで、それぞれのジャンルに対するリスペクトがあるからできることだろう。

 メロディもキャッチーだ。言葉もしっかりしている。そこには確かな実力があり、音楽のつくりだけを見ると彼はとても安定している人のように見える。

 でも、しかし、彼の歌唱を聴いて、ステージ上でのパフォーマンスを見て安定している人間だと感じる人はいない。

 不安定だ。錯乱している。安定と不安定の狭間で揺れている。揺れているからセクシーだ。揺れているから、心をかき乱される。

 曽我部恵一は彼の音楽をあんず酒のように甘いと形容していた。息を吹きかけたら全てが薔薇色になってしまうような歌を歌うアーティストになるだろうと述べている。甘く安定感のある音楽の上で錯乱し狂気する。友人は彼を「危険」だと評していた。

one-night-robot-02.hatenablog.com

『演者が物理的に危険なことをしているわけではなく、ステージ上の彼を見ていると呑まれそうになる。魂ごと引っ張られるというか。そういった意味で、ひたすら危険という感想が浮かぶ。』

 

 

www.youtube.com

無罪モラトリアム』を数ヶ月ぶりに聞いている。

 「歌舞伎町の女王」までは椎名林檎が書いた気がする。まだ人間が関わっているような手触りを感じる。

 けれど、「丸の内サディスティック」はどう考えても人間業じゃない。演奏、構造、歌唱、歌詞、言葉の捌き方、どれをとっても完全に人間を超えている瞬間の連続。

 この曲はもう全部を通して神とか妖精とかそういう存在が関わってるとしか思えない。

 だから、この曲が他と比べて素晴らしいと言いたいわけじゃなくて、人間業じゃない曲として絶対的に素晴らしい。

 他の曲は人間的な手触りを感じられる曲として絶対的に素晴らしい。僕は「ここでキスして」が好き。

 「丸の内サディスティック」の次に配置された「幸福論」を聴いて少し泣いた。