ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

同じではない

 実感がともなうものを書きたいし、実感がともなう歌を歌いたい。時間に追われるのではなく、誰かに言われたのでもなく。

 自分の中にある情報を組み立てて書くのが村上龍の小説の書き方らしい。頭の中にある無数のひきだしに入ってる小さなマテリアルーーたとえば、真剣な怒りを感じると全身が痒くなってしまう人とか、そういう素材を魔法のように組み合わせて書くのが、村上春樹の小説の書き方らしい。

 この間読んだポール・オースターの『ムーンパレス』には、盲目の老人が、主人公の若者に街の中にあるもの、電灯やマンホールをこと細かく描写させる場面が出てくる。

 そこで主人公は、今まで同じ風景だと思っていた街の構成物も、光の当たり方とか見る角度とか、様々なパラメータによってすべて違うのだと気づく。その目線を得た主人公は盲目の老人とともに、彼の死亡記事を作ることになる。

 小説は主人公の書いた自伝的小説というていで進んでいく。だから『ムーンパレス』はフィクションだけど、その中には小説の、もっと言えばそういった類の文章の実際的な、実務的な感覚も落とし込まれているのだと思って、その場面をある種の創作論として面白く読んだ。

 演劇の本を読んだ時、役者とは人よりもものを細かく、精密に見る人のことを言うのだと書いてあった。同じものだと思っていてもそれぞれ微妙にちがう。ちがいは微妙だからしっかり見ないといけない。

 役者の能力とは演ずる能力以上に見る能力のほうが大事だって言いたいのかなって、ぼくはその本を読んだ時に思ったくらい、見る能力という言葉が印象的だった。

 ぼくの思い違いやバイアスのかかった目線を差し引いても、それは確かに印象的に書かれていたはずだ。

 いとうせいこうが発起人のような役割をして、先週末に『巣ごもりフェス』というイベントを開催した。youtubeや17ライブとか様々なプラットフォームを使って同時多発的に多くのアーティストが演奏を配信するというもので、ぼくは個人的な感想だけど、フェスの空気感を家にいながら感じられた気がしてとても面白かった。

 フェスというのは面白い。個人的にどこが面白いか考えてみると、ぼくはフェスの同時多発性を面白がってるみたいだ。

 同じ時間に別の場所で別のグループが演奏するお祭り感。同じ時間にやってるのでとうぜん自分はどっちかしか見られない。

 だから好きなアーティストの時間が被っていると悲しい思いをするのだけど、それを補って余りある喜びがお祭り感の中にあると思う。『巣ごもりフェス』はお祭り感があってよかった。

 『巣ごもりフェス』の前に、ダースレイダーというラッパーのyoutubeライブにいとうせいこうが出演して二人で色々と話していたのを聞いていた。

 いとうせいこうが「同じ海や同じ波でも実は毎日違う」という意味のことを言っていて、ぼくはそこでポール・オースターを思い出したのだ。