ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

身体的な基礎疾患と経済的な基礎疾患

 疫病が流行している。基礎疾患を持っている人が重症化しやすいのだという。

 さっき、自分の過去の喘息の記憶を思い出しながら、年金機構のネット登録を行なっていた。

 呼吸器と消化器があまり強くない。多臓器不全でもし、自分が死んでしまうとしたらまず呼吸がしづらくなるのだろうと思い、それは嫌だと思った。

 呼吸ができないというのは、苦しい。身体的にも苦しいし、それ以上に精神的に苦しい。ひゅーひゅーという音が自分の中から聞こえる。咳をする音が自分の中から聞こえる。それはゴホゴホというか、ゴーッとかガオーッと言った音で、ひゅーひゅー、ゴーッ、ひゅーひゅー、ガオーッとなん時間もやり続ける。音が入ってくる。音が嫌だった。

 それもある時間までだ。人間は慣れる。発作が起こって数時間経つと、自分がひゅーひゅーいう人形かおもちゃみたいなもの、機械にでもなったかのような気がしてくる。ひゅーひゅーいうのは自分の機能。だから、苦しみは続くけど、慣れる。苦しみ以外のところに意識のフォーカスが向くのだと思う。意識のフォーカスが別のところに向けば、もうすぐで発作はおさまる。

 身体的な基礎疾患にあたるかもしれない小児喘息のことを思い出した。息が苦しくなるのは嫌だ。だから肺炎は嫌だなあと思う。

 こんな時期だから本を読む。そこに、経済的な基礎疾患という文字列が出てきた。

 身体的な基礎疾患を持つ人は病気が重症化しやすい。経済的な基礎疾患を持つ人は、恐慌のダメージが大きい。

 経済的な基礎疾患という、キャッチーなフレーズにやられてしまった。良い言葉だと思った。わかりやすい。イメージがしやすい。

 経済的な基礎疾患とは、借金がある、お金のことを知らない、定期的な収入がない、ビジネスが苦手、行動力がない状態のことを言うらしい。困った。すべて当てはまってる。

 これでは今後めちゃくちゃな傾き方をする資本主義経済の中で、生き延びていけるのか、とても心配になりました。

 とても心配だけど、不思議と不安ではない。すごーく微妙な話だけど、心配と不安はちがうと思っている。ぼくは、生き延びるつもりだ。見通しは立たないけど、生き延びると決めた。

 生き延びることを考えると、非常に悲しいことや恥ずかしいことを受け入れるしかない時が来るかもしれない。それでもとりあえずは生きていようと思った。

 もちろん犯罪は犯さない。犯罪は将来的に死へ向かうからだ。

 今後、経済はめちゃくちゃな傾き方をする。ぼくが参入しようとしていた音楽業界には、すでに間違いなく業界全体の危機が訪れている。音楽は不要不急で、三密を要求するからだ。

 しかし、この災害を乗り越えた先に、業界や社会構造や経済の仕組みが少しなりとも変わるはずだ。そしてその時音楽は必要となる。

 そしてこの災害の最中、何かが変わらざるを得ない時期にも、音楽は必要だ。

 いとうせいこうが「音楽はロックダウンできない」というフレーズと共にネットでフェスをやっていたけど、それが結局のところ本当に確かなことだと思う。文化は人を直接つなぐ。

 音楽に限らない。スポーツ、絵画、アニメ、工芸、文芸、彫刻、ビジネス、あらゆる文化は人をつなぐ。それは分断に抵抗する。社会的な暴力にも、自然からの暴力にも抵抗する。

 人間は目の前にいない人間のことも同じ共同体の仲間だと思うことができる。これはゴリラやチンパンジーにはない性質で、サルの中でも人間だけが持っている特殊な心のあり方だ。

 つながりや記憶、それが人間の人間であることとどこかで繋がってる。なんかえらく一般的なことだけどね。

 作るのは善だ。音楽をやるのも善。小説を書くのも善。こうして何にもならないような雑文を書くのも、絶対的な善だと思ってる。生きてることは端的に善だって、なんとなくだけど思う。死なないようにしようね。生きていればどこかで繋がれるので。