ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

レコードと読書とプロセスチーズ

 書いた文章をコピーしてはてなブログの『記事を書く』ってとこにペーストしようとしたら誤ってすべて消してしまったので、元の文章につけるはずだったタイトルをつけて別の文章を書きました。

 以下、タイトルとは全く関係ないですがいつもどおり意味不明のやつです。どうぞお楽しみください。

 

 

 

どうやらいろんな作家を見ていると、書いている物語とは別に、書きたい物語というのがあるらしい。書いているものをどれだけ細かく書いていっても、書きたい物語に到達しないような、そういう感じみたいだ。慈愛とか優しさとか生命とかそんなことじゃなくてアクションとか実際に何があったかとかそういうことだと思うから、観念論はあんまり良くないと思った。とはいえそれは人のやり方で、自分のやり方がどこかにあるはずだ。あるはずだ。と考えると神経症的にならざるを得ない。メールを送ってその返事に何も言わず電話をよこした彼のやり方はとても良いと思った。

 歌は僕にとって一つのスキルで、歌うことによって自信を取り戻したりするが、それは安らぎとの交換によって成り立っていた。虚勢とプライドの立ち上がってくる歌。歌うことはもはや安らぎではなかったが、それは専門教育の弊害だろう。数字で見れば僕は声が大きくなった。点数も上がった。高い音も出る。だからどうしたと、本気で思う。なのに本気でプライドを感じている。それでは安らぎから遠いところに行ってしまうのは明白だろうと思う。

 自分にとっていちばん大事なのは競争でも勝利でも自信でもなく、安らぎと喜びなのだろうと思う。安らぎは競争の対岸にあって、他人の目で自分を見ないことで得られるし、喜びはものごとが始まる前と後に存在するので、期待し、自分の目で自分を見て、達成する。それだけで幸福に過ごせるのではないかと仮説を立てる。達成とはこの場合、ただ終わるということで、目的の達成という意味ではない。

 行動の中身は無意識、無思考、無意味で、何も得るものなんてないのだから、それが安らぎなのだとしたら、価値もまた無いわけでは無いのだろうか。こんな人間でも産まれたしまったからには生きていくしか無いのだけど、死ぬな死ぬなという割に、黙っていて生きてて良いことにはなってないから、不思議だ。

 生命を立ち上げるなら、絶望が必要で、ゼロから自分を見直すとか、そういうことをせずに済んだ幸運がある分、安らぎは遠く競争が近くをちらついている。こんなことを言うこと自体が甘えに他ならない。僕は甘えの塊だ。じゃなきゃ音楽の専門教育なんか受けられない。恥知らずだと思う。何が恥なのかわからないけど、何かを恥じている。

 保守的で規範的な自分が自分を責めまくるので、どうにも逃げ場がなく、完璧主義、自己否定、他者との比較の三拍子が揃ってしまうことも多く、そういう時は安らぎからは遠くにいる。幸福じゃ無い。だからといってすぐにやめられるわけでも無いみたいで、何かを意識したり意味を求めること自体が向いてないみたいだ。無意識、無思考、無意味でプロセスを済ませるのは非常に楽だ。でもそれはそれで安らぎとは違う気もする。不安は焦りを生む。焦りは不安を生む。無限に大きくなり続ける競争の世界が心を覆っていくから、そういうときは村上龍坂口恭平、ポールオースターを読むのが良い。じきによくなる。ドラッグみたいなものだ。