ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

物語へ、あい

 音楽ではーー。思考を放棄できない。動物のように書きたいわけでもない。人間の言葉の意味が頭に入ってくるのを拒んでしまうこの精神は、だからこそ外国のカフェの雑音とかを求めた。

 現代は好きな音が聴ける時代だ。表層的な意識が持ち上がってきたから考える。誰かがアメリカのカフェの雑音を録音して投稿する。すると何かその人間にメリットがある。世の中は非常に複雑で、様々な中継地点を通って価値の交換が行われていて、僕はもうてんでついてはいけない。

 表層的な自分の思考は無限に言葉を生むが、そこではまだ深い部分に至れていない。通り過ぎてしまうような、すべての言葉が、すべての文字が等価値で、そこに点描されているだけのようなものが良い。通り過ぎてもいいし、通り過ぎなくてもいい。触れる。そういう文字。

 意思力を働かせて構築した物語ーーそうした物語に憧れる。憧れるというか、物語というものを作れるのはもうそれだけで価値がある。物語が大切だ。物語が大切だ。共有される物語、共有される歌。共有される詩。

 今一編の詩も思い出せない僕の頭には突然あの河川敷の風景が浮かんできて、それは対岸に現れたビルのシルエットで、焼き付けられた写真の、なんと言うのだろう、ネガというやつみたいな調子で茶色く、時に紫で、細かいディテールが見えない。

 あの娘のeyesと歌った彼女の声に、爬虫類の目を想った。人間の目はモノを捉え、爬虫類の目は温度を捉える。

 知識と情報は違う。情報って一体なんなのだろう。考えたことも情報の一部なのか。機械は、ソフトウェアの根本は文字だ。情報とは文字なのか。

 身体の中にある情報を置くべき位置に置いていく作業が書くということだって言っていたのを聞いた。

 書くということはいったいなんなのか。できるだけ遅延した結論への旅路のようなものなのか。知識が情報に変わる時、解釈。

 知識だけが増えていく。洪水のように頭に現れる言葉を直接書く。考えたことに価値なんてない。考えたことに価値なんてあまりない。考えないで書くという時点で考えが前提としてある。価値があるとかないとか本当に辛くて悲しい。なんのメリットがなくたって人間は行動するんだ。なんのメリットがないものだって作り出す。価値と経済について考えて、とても悲しくなる。ここは価値を生み出さないメディア。価値のない人間。価値のない情報。情報の方が人間に先立つ。これは愚痴に近い。

 情報とはいったいなんだ?イメージがあふれるがこれは情報か。僕は小説を読んで心を震わせたり感情が動いたりするのを感じて、物語の強さを想う。意味なんてない。意味なんてない。どこにも行きたくない。どこかに行きたい。