ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

おうだんほどう

 駅の階段を降りて、目の前に大きな通りがある。横断歩道は5メートルくらいの横幅があって、ずらーっと人が一列になっているから、昼の時間の駅前は混むのだと分かった。

 今日はよく晴れていた。僕はイメージを膨らませながら歩いた。人々が何かざわめきを発していた。電車が音を立てて到着して、あと数秒で発射するだろう。車は止まる。止まる時にも音が鳴る。信号が青になって、「青になりました。気をつけてお通りください。」と、女の声でアナウンスが入る。たとえば地球が終わるとか、そこまで大袈裟じゃなくても、感染症か何かで人が居なくなった街で、この女の声は鳴り続けるんだろうか。今日みたいに晴れた日の、誰もいない横断歩道で鳴り響く「気をつけてお通りください。」の声を想像した。ずぼらな役人がスイッチを切り忘れて、電力を無駄に使いながら、その供給が止まるまで定期的に続く警告の声。それはもはや生命のようだと思った。行為に意味が伴わなくなった途端に、生命のような気がするから、不思議だ。生命は意味がないのかな、とか思った。横断歩道を渡り切った。電車は発車して、次の電車が止まっていた。

 僕は横断歩道の目の前のセブンイレブンを左に行って、吉野家とパチンコ屋の間の路地に入った。ふと、これは夢の中だと、思った。もしこれが誰かが見ている夢の中なら、ある瞬間、その人の耳もとで大声が鳴るとかしたら、僕の意識はふっと消えてその人の現実が始まるのだから、それなら僕が仕事をしていないこととか、生活費を下げようとかそう言うことは全て無くなるのだから、目覚める瞬間が来たらそれはそれでいいなと本気で思った。

 僕は路地を入って行った。路地は両側にハンコ製造工場とか印刷会社とかの看板が並ぶ通りで、コンクリートに囲まれている。地面がアスファルトで両側がコンクリートだから、僕に残された自然な空間はもはや空しかなく、空はこんな風に追い込まれた僕から見たら、そしてこの気軽な身分の僕から見てもひどく能天気に真っ青で、雲がぷかぷかというか押し流されているのが見えて、あんな巨大な水蒸気の塊を押し出すだけの風の力はなんだかえらいと思ったし、そこで風力発電をすれば凄まじいエネルギーを得られるのではないだろうかと妄想した。でも自然はそのままでいてほしいとも思う。ナイアガラの滝で水力発電を始めたりしたらなんだか感動できない。しかし感動するとかしないとかも人間の勝手で、発電をするのも人間の勝手で、滝は滝であって、どっちにしろ人間の都合に付き合わされて勝手な意味を付与されているのだから、どちらにせよ何も変わらないのだろう。滝によって恩恵を得るなら滝にとって一番良いようにするべきだと思った。都会の大通りの音や電車の音は滝のようだった気がする。そうじゃなかった気もする。

 路地の中からは色々な音がした。いや、ざわめきというか、音だ。何か低音でじーーーーっと鳴り続ける音、足音、カラスの鳴き声。「兄ちゃん、ちょっと、」振り向いた。

 「ちょっと、こんにちは。あのさあ、」僕はさーっと冷たくなる思いがした。こんなところで話しかける奴なんて危ない奴に決まっているから僕は早足で通り過ぎようとすると「おいこら、まてよ!」などと叫ぶのでたまらず駆け出した。相手は爺さんだった。爺さんだから追いつけないだろう。実際に、追いかけてはこない。僕はほっとして、しかしこういう風に新たな出会いを無下にしているかぎり、自分は成功しないのではないかと思った。成功する人間は新たな出会いを拒まないと、この間立ち読みしたビジネス書に書いてあったから。

 いや、そんなことを思ったのは落ち着いてからだ。しばらくこの道は通りたくない。あの爺さんが張っているかもしれない。刑事ドラマの見過ぎかもしれない。僕は、この夢を見ている人が早く目を覚ませばいいと思った。死にたい。死にたい...?

 死にたいのかな、と思った。いや、そんなはずはない。走って疲れて喉が乾いたので公園の自販機でミックスジュースを買った。死にたい人間は飲み物を買わないだろう。いや、そんなことはないのか。大岡昇平の『不慮記』には、死ぬ前に渇きを癒したいと考えるフィリピン戦線の兵士が出てくる。たとえ死ぬと確信しても渇きとはそれほどに満たさなくてはいけないのだろうかと、不思議になる。不思議だけどその矛盾が生きることだと思ったから僕はそのあたりの場面が気に入った。小説を読むのは好きだった。あの爺さんみたいに怒鳴ってはこない。

 どちらにせよ死にたいとシリアスに考えているわけじゃない。逃げたいのだと思う。僕は、仕事がないから何かから逃げたいのだと思う。生活水準が下がったって人と比べなければ幸せだ。幸せだと思うことは低コストで叶えられる。いっそのこと、生活費の安い海外に移住しようかと思った。平日の日射しが強い春のジメジメした公園で、「海外 移住 安い」と検索する、そんな自分の姿を小学生のとき、想像したことがない。