ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

ハトを触らないし殺さない。

 葛西に戻ってあの河川敷の葉っぱの匂いを嗅いでくればいいかと思った。

 幻覚、幻聴と同じように幻臭というのもあるらしい。あるいは、記憶のなかにある匂いが急になにかの誤作動で立ち上がってくる 。

 それはだいたい忘れがたい記憶で、幼い時のものだ。

 幼い時に、祖母に連れられて行った公園で、海辺の公園だったと思うけど、そこで嗅いだ匂いがいま記憶の回路をつたって戻ってきた。

 ここは隣の駅の古本屋で、僕は歩いている。出来るだけ聴こえる音を聴こうとして歩いていた。イヤホンをつけていたけど、音楽は流さなかった。

 少しの疲れがある。右を向けば交差点の向こうにファミリーマートがあって、その前のバス停に老人が休んでいる。バスには老人しか乗らない。若い人間はみんな歩いているか自転車に乗っていた。街は人が多いけど、駅に人は少ない。

 歩き続け、疲れると、目を閉じたくなる。目を閉じて、たとえば空の上に住むみたいな想像をする。

 空の上に住むとしたらどんな環境をつくだろうか。地上で暮らすなら、とりあえず近くにスーパーがあって寝るところがあればいいけど、空の上ではそうもいかない。

 しかしAmazonならきっと近いうちに空の上でも配達してくれるだろうから、物資は大丈夫だ。あとは眠るところだ。雲はふかふかしてそうだけど、実際は水蒸気の塊だから、ダメだった。

 目を閉じて、目を開けた瞬間に違うところに行っているという妄想は僕を楽しくさせた。それはきっと逃亡者の心理というか、イヤなことから逃げ出したいそれだけだ。目を閉じればどこへでも行けるのだとしたら、イヤなことがあったら目を閉じれば解決する。

 赤く美しい夕日が白い砂を焼いている。砂漠の真ん中で、リスクなく生存したい。そういう感じだ。ドラえもんですら扉を開ける必要があるのだから、僕の妄想の方が画期的だと思う。

 砂漠の砂はサラサラしていた。それは僕の頭の中でサラサラしていた。風に舞っていた。風が吹くと目に入っていたい。砂漠の砂は砂浜の砂によく似ていた。砂は岩石が破壊されなんらかの力でこんなにサラサラになるまで細かくなったのだ。砂になりたいと、自然に思った。ここは古本屋だ。

 東京で、晴れたり曇ったりしている。砂は近くにない。近くの公園にある砂はジメジメして固かった。晴れた日にそこのベンチや木の下で本を読むのが好きだった。本を読んでいるとハトがそばに寄ってきて、何が楽しいかわからないけど地面をずっとつついている。ハトの中に一匹だけ目元の美しいハトがいて、そのハトを口説いたり、誘惑していたら、最終的に僕の周りにはその子だけが近づいたり離れたりしながら、残っていた。

 ハトを触るのは抵抗があったから触らなかった。僕は触らないし、ハトの側もきっと触りたいとは思っていないだろうから、僕らの距離は触れないくらいをずっと保っていた。きっと、感染症や衛生面を気にしないで触ろうとする、それはつまり心を開くということだけど、もしくは、相手を完全に感じられるように、自分を投げ出すということだけど、それができれば僕とあの美しいハトの距離はもっと近づいていただろう。恋人みたいに。

 触れられない距離をお互いに保っていれば、お互い相手から殺されることはない。触れられる距離とは、殺せる距離だ。絶対に殺さない/殺されないという安心か、殺されてもいい/殺してもいいと思えるほどの何かがない限り、触れられる距離に近づいてはいけない。それは人間同士でもきっと同じことのはずなんだけど、満員電車はなくならない。