ゲージュツ的しつけ

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演劇の奥義、サードアイを文章に利用できる?

 演劇の世界に「サードアイ」という言葉がある。第三の目。そう言うと神秘的だけど、イギリスの演劇メソッドの中に取り入れられ、きちんと体系化された理論だ。集中力を分散させて、どちらにも最大限集中するための方法論の俗称のことをそうやって言うらしい。

 役者は、観客に注意を払いながら自分の演技をしなくてはいけない。

 音楽家なら、指揮者を見ていなくてはいけないし、人と何か仕事をする人は必ず共演者の存在を感じながら自分のパフォーマンスをしなくてはいけない。

 そういう時にこの「サードアイ」があると、すべてに同じだけど集中できるのだと言う。夢のような話だ。しかしイギリス演劇では実際に体系化されている。

 練習方法は簡単だ。

 映画や小説などストーリーのあるものを見ながら普段の練習をする。

 そのストーリーには出来るだけ没入した方がいい。時間感覚を忘れてしまうくらい。

 ストーリーに没入しつつ、自分の練習をする。意外と人間はそういうことができる。ながらで何かを学習するのは時に一つのことに集中するより効率が良い。スピードラーニングが良い例だ。

 ストーリーに没頭していると自分の練習にも没頭できる。同時に二つのことに没頭できる。

 なぜ、そうなるのだろうか。

 そうなるというのは、ストーリーを意識しつつ自分の活動に集中できるのかということだ。ストーリーを意識した方がかえって集中力が増すというのは矛盾しているように思える。

 神経のリソースは決まっており、そのリソースを映画に割いていたら練習の方に神経を回す余裕がなくなると思うからだ。

 考えられるのは、何かに没頭することで神経伝達の効率が上がるのではないかということ。

 普段の気が散っている状態より没頭していた方が神経伝達の効率が良くなるからその分他のところにも余裕が生まれるという仮説だ。

 まあこういうのじゃ僕が考えてわかることじゃないから本を読もうと思います。

 また不思議なのが、言葉と身体感覚の関係で、ストーリーに没頭するとは言葉に没頭することで、練習に没頭するとは、パフォーマンスにおいては身体感覚に没頭することだ。

 サードアイを働かせている状態は言葉に没頭しつつ身体感覚に没頭するというぉとだ。であるなら、身体感覚に没頭することで、逆に言葉に没頭できるのではないかと思った。つまり、その場で見えるものや感じているもの、五感に意識を向けることで文章により没入できるのではないかいう仮説だ。

 つまりサードアイを働かせている状態とは、言葉と身体感覚が切り離されている状態なのではないかと思った。

 作家が「雑音があった方が集中できるけど、会話や歌詞の意味が耳に入ってくると集中が途切れる。」みたいなことを言うのも、言葉と身体感覚のバランスに関係しているのではないかと思った。

 あとはゲーム実況者がゲームをしながらめちゃくちゃ話せるのもそう言うことなのかと思う。ウイイレとかパワプロとかやりながらあの人たちめちゃくちゃ喋るけど、それは身体感覚=ゲームのプレイ、言葉=喋り、と別々に集中できている証拠なのではないか。

 ストーリー、言葉に没頭することで練習、身体感覚に没頭できる。ならその逆もありうるはずだ。僕は気が散りやすいのだけど、逆にとことんまで気を散らせてそっちに集中することでかえって言葉に集中してよく読めたり書けたりするのではないかと思った。なんにせよ面白い。演劇の世界は不思議だし人間の認識力は結構すごい。