ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

究極のウイルス対策を祝福する

 完全に合理的な社会とは、社会主義的監視社会なのだろうか。

 感染症対策にとっていちばん効果的なのは、中国のようなモデルを取ることなのだという。パーソンtoパーソンテクノロジーを使うこと。それは、監視と分断だ。

 ウイルスへの理想的な対策は、数理モデルを用いたシミュレーションにより、ある程度結果が出ている。

 数理モデルというものがある。時間で変わっていく現象(たとえば物の売れ行きや老化、感染症など)の、計測できる数値の動きを予測するのに用いられる数学的な式のことだ。

 一般的にはマーケティングや生物の研究に使われることが多い。マーケティングの場合は、時間により売れ行きや接触する人間の数が変化するし、生物の身体は時間によって内部の組織や細胞の構造が変化していくからだ。数式によってそれぞれの数値の変化を模倣してモデル化することで、全体が進む方向を予測することができる。

 これはもちろん感染症にも応用することができる。今、全世界的に数理モデルを用いた感染症対策のリスクや効果の検証が行なわれている。

 数理モデルが模倣する数値は感染者数、死亡者数、外出者数などだ。外出者の数が変化したら感染者にどのような変化が起こるのかを予測して、ロックダウンなどの具体的な対策が与える影響のシミュレーションをしているらしい。

 たとえば、国が方針として出した接触者8割減という数字もこの数理モデルを用いて求められた数字だ。

 数理モデルを用いたシミュレーションの結果、ロックダウンには根本的な解決のためにはあまり効果がないということが分かっている。具体的には、ロックダウンをした場所は感染者が大きく減るのだが、ロックダウンを解除した瞬間に、感染者の数はロックダウンする前と同じ推移で増えていく。

 つまりロックダウンは一時的に感染者の数を減らせるが、感染のスピードを抑える物ではないということだろう。

 ではロックダウンの一番のメリットとは何かというと、時間稼ぎになるということだ。

 時間稼ぎであるなら、その目的が問題となる。稼いだ時間で何をするかという問題だ。

 一つはワクチンの開発だが、これは今中国を中心にあらゆる国のあらゆる製薬会社が既存の薬を試験していて、効果がある薬は判明しているが、リスクが高いものが多く、また治療に対してあまり効果的ではないらしい。少なくとも数週間で特効薬が出来上がり流通するわけではない。

 しかしこの時間を使ってできることは他にもある。数理モデルを提唱する人たちによれば、中国のようなモデルを採用するのが一番感染防止に役立つ。監視して、分断するというやり方だ。そのやり方とは以下のようなものだ。

 各人にモニターをつけてバイタルデータを取り、それを元にコンピューターによる計算を行い、体温の推移や地域の状況に合わせて感染の危険がある人を個人単位で検出し、監視を行う。

 市民はそれぞれアプリにより感染の可能性がある人を遠くから確認することができるようになり、例えば10メートル以内に感染の疑いがある人が近付くとアラームが鳴ったりアプリの色が変わる。

 そうしてほぼ完全に個人を捕捉し、感染者と非感染者を分断することができれば、ロックダウンを解除した後に感染者数をフラットに推移させることができるのだと言う。

 数理モデルを提唱する人々によると、ロックダウンで稼いだ時間を、そのアプリの開発や個人の特定を行うために使うのが最も合理的なのだと言う。

 しかし、ほぼ完全な個人の補足とは、ほぼ完全な監視のことだ。それにより生まれるのは、日本的な相互監視の、ゆるい何となくの規制ではなく一律な社会からの監視だ。それは合理的かもしれないが、民主主義社会の根幹である複数の自由と、それを担保する法を無視してしまうほどの力を持っている。

 相互的な監視にしろ一律な監視にしろ、監視、そしてそれによって行われる規制は暴力的だ。つまり外的な力により個人の身体が支配するだけの力を持っている。

 一律な監視はその力が一点に、つまり行政のトップに集約しているというのが危険な点だ。相互的な監視であれば、暴力は分散している。マジョリティの側、法を守っているとされる側、空気に従っているとされる側が無条件に暴力を振るうことが許される空気を生むので雰囲気が悪くなりあまり好きではないけど、公的には自由が保たれている。

 政府を介さず、空気を根拠としたマジョリティによるマイノリティへの一律な抑圧は、日本の得意とするところだろう。それはそれで最悪だ。

 ただ、一律な監視による公的な抑圧を許すのは怖い。

 ロックダウンの果てにあるのは相互監視か一律な監視か、どちらにせよ、ウイルスと戦うには社会主義的監視がいちばん合理的だ。

 人間は危険を拒み、安心を求める。であれば、テクノロジーが進歩していく限り、確実に個人が個人を監視できるようになる。危険な人間かどうかが遠くから判断できればいちばん安全だからだ。そういう技術は必ず出てくるし、必ず一般的になるだろう。

 それが人類にとって幸せかどうかがこれまでの問題であったが、これからどんどんシリアスになってくるだろう。技術は倫理より先に完成してしまうからだ。イデオロギーの段階で方向が決定づけられない限り、技術は人を抑圧する方向にしか動かない。そしてその技術すら持て余してしまったら、相互監視の疑心暗鬼の社会が訪れることになりかねない。

 テクノロジーとの付き合い方を考えるというのは、今までどこでも行われてきた議論だが、今後、国家レベルでその方向づけが必要になってくるだろう。中国、ドイツ、香港とどうであれ方向を決定した国は動きが早い。僕はとりあえず英語をちゃんと勉強しようと思います。