ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

二〇二〇年四月、コンゴ共和国でエボラが終息した。

 コンゴでエボラが終息したというニュースを見て、やけにほっとしてしまった。脳は言葉尻が合っていればなんでもいいようで、終息という文字には無条件で反応してしまう。しかもそれが感染症の話題なら尚更だ。自分を取り巻く環境は一切変わっていないのだからこの安心は誤解だけど、それでもいい。

 二〇一八年の八月から始まったエボラウイルスの集団感染だったが、この一か月間ほど新たな症例が報告されず、二年越しでの終息宣言となった。

 コンゴ共和国のギブ地域で感染が拡大したエボラは、三十万人に及ぶ大規模なワクチン接種により克服された。

 しかしその道は困難だったようだ。ギブ地域はコンゴ共和国の中でも長い紛争があり、政府に放置されてきた歴史もある。その上、二〇一八年に予定されていた政府の総選挙に関する方針転換から、ギブ地域は投票開始の日時を三ヶ月ほど遅らせるという通達が来て、人々は政府に対して不信感を抱き、その結果国際医療機関にも反発し、ワクチンの接種を拒んだ。

 ほとんど反乱だったという。医師団に対して暴力的に反抗し、根も葉もない噂が街中を覆った。

 人々は状況が分からなくなればなるほど暴力的になっていったらしい。医師たちは信頼関係の構築から予防接種まで進めるようプロジェクトを開始したが、二〇一九年の四月まで反乱は続いた。

 

 なんだか面白くて長く書いてしまったのだが、とにかく脳は様々な誤解や情報の不足から合理的な判断ができなくなる時があるらしい。

 僕に関しては合理的な判断なんてほとんどできていない。終息の文字に安心するくらいだから。お腹が空いたらご飯を食べる。くらいのことしかできていないのではないかと思う。むしろお腹が空いてもご飯を食べなかったりお腹が空いてないのにご飯を食べる時もあるから何一つ合理的でないのかもしれない。

 だからといって脳の誤解を解いて効率的に進むのがいいのかというと、それはそれで結構しんどい気もする。この気がする、というのが非合理の発露だと思う。フレームが自由なディティールを生むように、体系化や効率化が自由な人生を生む、とも言えるのかもしれない。

 協調的な人間より強権的な人の方がリーダーシップを持っていると言われる。決断が早い人間が有能な人間だとされる。

 また協調的な場面も「考える場」として明確に体系立てられている。それは明らかに正しい。その中において人の能力は最大限に発揮されるだろう。

 言葉にできない、体系にできない部分がある。効率化できない部分がある。体系を知ることでその分からないところに近づけるのか、それとも遠ざかるのか、その間で揺れている。

 形にできないことを無理に形にしようとしない方がいいのか、そもそもこんな考えは無視して衝動のままに全てやればいいのだろう。

「楽しいと思った瞬間がゴールなんだ 

楽しきゃいいじゃんと思ってる人間が 楽しいと思ったら もうその先はないんだ」

 甲本ヒロトはかっこいい。