ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

祝福する、ナルシストの保身

僕は自分がめちゃくちゃ好きなのでこのブログの過去の記事をしばしば読み返しているのだけど、たまに自分の自意識が醜悪に出ているところがあって、泣きながら直している。泣きながらというのは嘘だ。醜悪な自意識も客観的にみている分には面白い。

 自意識は保身の形で現れる。そして保身は主語や文末に出る。

 主語を自分としなくてはいけない時、例えばネガティブなことを話しているところや持論を述べているところなど、責任を自分で引き受けなければいけない時に「〜な人」とか「人間」とか主語を拡大して責任から距離を置いている。

 逆に、主語を自分と書いてはいけないような文章、例えば又聞きの話とか引用文とかの文末を見てもらえれば(そんなありがたくも暇な人がいれば)、私見であるかのように「〜と思う」とか「〜と聞いた」とか書いてあって、気づいた時には恥ずかしい。責任は他人に、手柄は自分に。そんなスローガンが聞こえてくるようだ...。

 自分はつくづく俗物で、嫉妬、保身、ルサンチマンそしてそれを自覚しているというポーズをとることで始まるメタゲームの人間なのだと改めて思った。そんな自分が結構好きだ。だからナルシストでもある。いや、ナルシストは美徳かな。

 全然関係ないけど、アメリカの小学生はどんな顔のつくりであっても「お前が一番可愛い」と言われ続けて育つらしい。アメリカのデフォルトの自己肯定感はそこに設定されている。つよい。

 また、ここまで書いた傾向から察するに絶望しているときは保身に走りやすいらしい。毎日書いていると自分の体調をモニターできて面白い。もちろんその楽しみは自分だけなのだが...。

 とてつもない自分語りでした。自分語りが悪とされる文化の発祥と、承認欲求、「チラ裏」という言葉の起源、ゼロ年代インターネットの関係が気になった。これも保身かな。僕は自分語りを自分で読むのがめちゃくちゃ好きです。みんなの自分語りも読みたい。人の自分語りが好きだから。

 


新書のタイトルが面白い。文庫と違ってセンセーショナルなものが多く、「バカ」とか「日本」とか「〜のすべて」みたいなタイトルがたくさんあるのかと思えば『聖書とコーランの対話』みたいな異種格闘技もの、大好きな『独立国家のつくりかた』みたいにちょっと抽象的なものまで様々ある。人間の欲望の博覧会みたいで面白いのだと、古本屋の外に並んだ100円の新書コーナーを見て思った。

 人間がつよく興味を持つ話題はもう解明されていて、生存、食事、健康、性、格差...という風にいくつかあるらしい。新書のタイトルはそのセオリーにしっかり則っている。

 以下、新書のタイトルを挙げてみたのだけど、信じられないくらい下世話になってしまった上に人の看板で文章書くのはよろしくないと思ったので校正、校閲、削除をしました。