ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

感情のパラドックスを言祝ぐ

できるだけ動く感情をそのまま保存するようなものが作りたい。

 生命は動き続けているからだ。眠っているときだって生命が止まっているわけではなく、死んだって変化し続けている。この瞬間にも心臓が動き続け細胞は分裂を続けている。僕も、あなたも、そうやって生きている。だから感情は動く。絶望したりチャンスを感じたり愛を持ったり死にたくなったりする。感覚も変わる。温度に対する肌感覚はきっと赤ちゃんと老人で大きく違う。インターネットは個人の動き続ける感情を記録するには早すぎる。だから人に会いたい。会って話すと感情は伝わりやすいから。

 生きるからにはいいライブを積み重ねたい。舞台の上に上がった時だけがライブじゃない。所作とか、話し方とか含めて、自分がどのように世界と関わり、相手に何を伝えるか含めてライブだ。

 感情は動き続けて複雑だ。だから複雑なものを複雑なままにしておきたい。

 感情はあまりに複雑で、言語化できるのはその一部分だけだ。僕らが様々な認識をするのはその一部分だけだ。木を見たときに、一部分だけを見て木だと言っているように。近づけば全体が見えなくなるし遠ざかれば細かい部分が見えない。逆に枝の先を見ただけであそこに木があると分かる。この身体は物事の一部分しか認識できず、逆に一部分だけでも全体を想像したり判断できる。どちらの場合も、認識した部分をきっかけに認識できない部分が増幅されていく。分かることが増えると分からないことが膨大な量になる。 分からないことが増えると想像して分かったりもする。

 言語もきっと似ていて、言語化できるのは語りたいことの一部分だけだ。全体を語ることも詳細を語ることも不可能だ。

 分かると、わからないことが増えていくように、書くと、書けないことが増えていく。だから書けないことの方がめちゃくちゃな情報量なのだけど、それでも書いたり認識したりするのを諦めず、触れられない世界が自分の中に広がって豊かになっていくのを楽しむしかない。

 この自我は感情や言葉を扱うことなんてできない。支配なんて絶対にできない。感情や言葉を使えば使うだけ、使えない部分が増えるのだから。もうしょうがない。自我の限界だ。僕らは基本的に目の前に起こる制御不能の事柄をただ感じているだけなはずなのにめちゃくちゃ苦しんだり悲しんだり死んだりする。自我の力はこんなにも弱いのに、弱いが故に強い。

 わかるほどわからない。書くほどに書けない。弱いが故に強い。様々なパラドックスの中を生きている。混乱するほど面白い。