ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

前衛的でありたいなんて!

あまりにも一瞬で僕は規範化される。

 マーケティングのことや経済のこと、シャカイのゲンジツについて考えたり本を読んだりすることが昨日から多くて、身体が小説を受け付けなくなったり、自分がやっていることが果たして娯楽産業の中でネットフリックスに勝てるのだろうか、とか考えたりしてしまった。決して悪いことではない。でも、僕は、馬鹿みたいだけど、アヴァンギャルドに生きて行きたい。

 アヴァンギャルド、前衛、革新、実験などを指す言葉。

芸術にはアヴァンギャルドとコンテンポラリーがあって、アヴァンギャルドは時代もムードとか規範をぶっ壊していく。コンテンポラリーはアヴァンギャルドをうまく取り入れて流行にしていく。規範化の始まりだ。コンテンポラリーが始まっちゃうと、アヴァンギャルドだったものもコンテンポラリーに吸収されて古くなってしまう。だからアヴァンギャルドが再びその規範をぶち壊さなきゃいけない。岡本太郎の芸術観らしい。

 知久寿焼の声を聞いた時、自分があるコードの中に浸っていたのだと気付いた。ここ数年心地よく聴けていたものが、なんとなくゾワゾワとしたから。いや、これは規範を脱出していたのか?いや、規範がどうこうではない。知久寿焼の声を受け入れられるモードの時と、受け入れられないモードの時と複数自分が存在しているだけだ。

 知久寿焼の声は一般的にゾワゾワする声だと思う。ともすれば気持ち悪いと言われるような。

 たまはアヴァンギャルドなバンドだった。アヴァンギャルドなバンドは日本では少ない。キリンジはコンテンポラリーだし、ゆずはモダンだ。この二つのユニットを出したのに他意はない。どっちも好きなバンドだ。

 アヴァンギャルドは儲からない。当たり前だけど。調べてて知ったのだけど、Fishmansが最近海外で評価され始めているらしい。男たちの別れというライブアルバムがストリーミング解禁になったことをきっかけに評価件数が数十倍単位で増えているのだという。良いことだ。嬉しい。アヴァンギャルドの生きて行きやすい時代かもしれない。

 昨日からホリエモンひろゆきyoutubeチャンネルを見ていた。僕は真剣に経済が落ち込んだ後の日本でどう生きるかを考えている。考えれば考えるほど、ビジネス思考の真似事をすればするほど芸術から遠ざかる気がする。きっとそれは錯覚だ。ビジネスを考えることと、知久寿焼を愛せなくなることの間に関係があると思うこの気持ちが何らかの差別感情か、嫉妬に起因している気がする。

 でも、まともな文章では自分の持ち味が生かせない感じするからまたおかしな文章が書きたい。希望系で語ることは今できていないことだ。普通の文章を書いたら、普通に文章が書けない人になってしまうのではないかという懸念。普通になりたくない、なんて中学生みたいなことで真剣に悩んでいるので、僕は幸せだ。