ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

声を聴く、身体の

 お腹が痛い。今は痛くない。痛くなくなってからこれを書いている。痛かった。痛かったので起きてすぐに風呂に入った。

 坂口恭平の日記を読むと痛みが減った。そういう文章や音楽や声がある。H.D.ソーローの『森の生活』も鎮痛作用を期待して読んだ。お腹の痛みを忘れられる文章だった。

 人間は内燃機関で作った熱を絶やさないために生活をしている、という話が記憶にのこる。熱を保持するために家があり、服があり、食事がある。そういう話だった。

 お腹が痛い時は、自分の体の主権者が身体に変わる時だ。体が拒否することはできない。栄養が必要だから何か食べたほうがいいと頭で考えると、お腹が痛くなる。身体と理性は別の存在だから、納得。

 風呂から出て、部屋で休む。立ち上がれない。考えると気持ち悪くなるから考えない。思えばしばらくの間ずっと身体の要請を無視していたのだと気づく。

 頭で考えて頭で描いた理想のままにこの休みを謳歌していた。かと思えば頭で考えた理屈に身体や心を合わせようとしていた。ダブルスタンダードに耐えかねた身体は悲鳴を上げる。頭は娯楽を求めるが、そんなの身体は必要としていない。身体は音楽を求めるが、そのタイミングは頭が握っている。

 しばらく休んで、少し夢を見た。起き上がるとお腹が痛いけど、動けたので台所へ行く。おじやを作ろうと思った。卵と米と豆腐と味噌。やめた。味噌汁を飲んだ。身体が味噌汁がいいと言ったから。

 それから部屋に戻り、身体をくの字に曲げて転がった。寒かった。熱はなかった。身体の熱を保持することができないから病になるのだという、ソーローの言葉は正しいようだ。気づいたら眠っていた。眠りは救いだ。

 起きる。だいぶ身体が軽い。お腹の痛みは引いている。いや、少し残っているけど。坂口恭平がラジオを始めた。鎮痛作用を期待して聞く。お腹の痛みが減少した。不思議だ。なんでもいい。反町のポイズンを聴かせると赤児が泣き止むのと一緒だ。ある一定のものを聴くと自分の身体に効く。坂口恭平の歌が好きだ。嫉妬深いからすぐ悔しくなる。

 夕食を食べ、風呂に入った。部屋に戻る。身体が暖かい。熱を保持できるようになってる。

 それから本を読んだり、動画を見たりしてこの時間だ。結局朝になってる。大岡昇平の『不慮記』と川端康成の『伊豆の踊子』を読んだ。『森の生活』は読めなくなっていた。明日古本屋に行って新しいほうの訳の文庫を立ち読みしてみようと思う。