ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

ハグれモノ行進曲。

 日記を書いてみることにした。日記は毎日続いているし、毎日続きを記録することが長編を書く練習になるっていう文章を読んで、それはすごいと納得したから。

 2020 3/29

 曇りのち雪のち雨。昨日は17度くらいあった気温が今日は4度。雪が降った。明日は13度になるらしい。よくわからないけど空調を使えば家の気温は一定なので体調を崩さずに済むのではないかと思う。

 それにしても暖冬だって言ってやたらに早く桜が咲いて今ちょうど満開くらいなのに、突然ピンポイントで雪が降るなんておかしなこともあるものだ。

 桜が咲いてるのに雪が降っているこんなおかしな状況に家に引きこもっているのも仕方ないので桜と雪を見に行く。川沿いの公園には同じような花見客がいて、みんな決まってビニール傘だったのはなぜだろう。

 桜を観察する。雪と桜はどちらも綺麗だから合わさった景色はもちろん綺麗なのだが、桜は雪と共存するようにできていないだろうからかわいそうだと思った。

 見ると桜の花びらは下を向いている。雪の重みに耐えかねたような表情は痛々しさを感じさせる。蕾の上に水の滴が溜まっていて重そうだった。これはきっといつか雪だった滴だろうと思う。おかしなことになって一番の被害者は桜だなと思う。

 雪は動き続けていて、それは重力で動いているからなんか雪が生命というよりは地球の運動の一部なんだろうけどとにかくいつまでも動き続けていて変な感じがした。桜はずっと止まっていて彼らの身体の中では細胞が動き続けているのだろうけど、その動きが寒さで緩慢になるから止まって見えたのだろうか。桜並木が華やかだけど少し悲壮感あふれていて、奇妙な面白さがあった。そういうと桜には悪いが。僕は地球規模のエゴイストなのかもしれない。消費者として生きる。

 昼寝を四時間する。またやってしまったと思いつつほぼ確信犯である。やることがあるとストレスで起きてられるけどやることがないリラックスは眠りに向かってしまうなあ。

 起きてから坂口恭平の日記を読み、大岡昇平の『野火』を読む。めちゃくちゃ面白い。文章をひとつ書く。井上靖の小説を読んでいたのだがそれより全然面白い。比べるのは良くないのか、ここはあまり良くないとおもわなかった。純然たる独立者同士の絶対的な比較というのはあるのかもしれない。批評とはそういうものなのだろうか。

 昨日からギタープレイと銘打って即興で15分くらいアコースティックギターを弾いて歌ったりしている。これが面白い。意外と聴けるものが出来上がる。

 しかし、ガレージバンドでモニターしながらやった時は全然ダメだった。空間を伝わる音と電子的に処理された音の間には大きな隔たりがあるらしい。僕はアコースティックな人間なんだろうか。とにかく聞くのは空間を伝わった音でなくてはいけない。スピーカーの必要性を感じた。

 これからご飯を食べる。実家はありがたい。

 


2020 3/30

 曇り。寒かった。

 夜中じゅう起きていたため1日を通して眠い。十二時に学校へ行かなくてはいけないためにずっと起きていた。昼夜逆転の生活だから起きてるのは辛くない。

 学校へ行く。雪は大部分が溶けてしまい、桜も少し散ったが、大きく輪郭が変わったようには見えない。

 モノの輪郭は常にブレ続けると後に読むことになることを、この時点では知らない。

 電車に乗る。人はいないがそれなりにいるので驚いた。とはいえ僕だって外出中の身だから人のことは言えない。『野火』のつづきを読む。坂口恭平の日記を読む。電車に乗る一時間はテキストがあれば退屈しない。

 『ルロイ・アンダーソン管弦楽名曲集』を聞く。ラッパ吹きの休日が一番有名だけど、どれも子供がおもちゃ箱をひっくり返したようでいて、思慮深い音楽。

 学校に到着。久しぶりに友達と会う。面白い。電話と、実際に会うのではどうしてこんなに違うのだろうか 。空間について考える。

 家に帰り、インスタントの牛丼を食べる。16時。ようやく睡眠をとる。七時間ほど眠る。外出は疲れるという当たり前のことを知る。外に出なくていいという今の状況は、インドアにとっては嬉しい。僕は感じているだけの存在なのかもしれないが、ただのアンテナではなく、身体全体で、揺れ続ける物質を感じたい。今日は独立した言葉が書けない。

 朝は、人間関係、相手のことを考えること、愛することについて、そして神と偶然性について、生きることについて、それは『野火』から学んだ。昼は空間を通ること、実際に会うことの素晴らしさと、それが発生する理由について、人間関係についてパート2、帰り道で、物質の輪郭や音楽について、これは坂口恭平の日記から学んだ。学んだというか感じたという方が正しいかもしれない。それから睡眠して、日記を書いている。お風呂に入ったりしながら。今日考えたこと。あと、悩むことと考えることの違いとか。

 


2020 3/31

起きる。10:30。眠い。成績発表の日だったので見てみる。最近はネットで成績が見られて便利だな。しかし成績なんて本当は見たくないから、この便利さが必ずしも良いというわけでもない。

 発表されたものは見なくてはいけないから見る。期待していたよりも良くない。悲しくなる。なぜ成績なんてものが存在して、その数字で一喜一憂するのだろうと真剣に考える。

 そもそも成績の数字やアルファベットは僕とはほとんど関係がない。勝手に付与されるひとつの性質で、その記号が俺を表しているわけでは決してない。

 人間は動き続け変化し続けるからうまく扱うことができないので、数字で処理してしまうのが一番やりやすいから成績をつけるのだとは思う。数字を付与できる力のことを権力というのかもしれない。「名前をつけてやる」というタイトルを思い出した。もっと色々考えた気もするけど忘れた。とにかく僕はこの成績というものや、それに一喜一憂する意味がわからなかった。そんなことでやる気を得たり失ったりするのは間違っている。それは一体どうしてなんだろう。どうして心は動くのだろうか。動くのだから良いのだろうか。

 11:45。ご飯を食べる。『野火』の続きを読み、眠くなったから寝る。とても興奮する場面だった。興奮して一瞬で覚醒して一瞬で眠くなる。生命、銃、物体についての部分だった。この本は小説の見た目をしているけど小説だとは思えない。もっと思想とかそういう類の本に見える。ニーチェが物語の形で思想を語ったように。僕は作者と登場人物をあまりに一致させて考えすぎているような気がする。文章を一つ書いたような気がする。

 16:30。起きる。食器と風呂を洗い、風呂を沸かす。その間に楽譜を読む。昨日友人が教えてくれたやり方を試してみて、効果がすぐに出たから驚いた。なんでもやってみなくてはいけない。怠惰な生活の中でも何かが残ればまだ自分を許せる気がする。

 風呂に入る。頼んでいた本が二冊届く。『思考都市』と『急に売れ始めるにはワケがある』という本。経路が違う。

 『思考都市』は想像通り素晴らしい本だ。装丁がかわいい。僕はこの本を音楽を聴くように読みたい。それは初めての曲を聴くように、もしくは初めての道を歩くように、見る、聴くだけではなく感じること。グルーブを全身で増幅するように読みたい。僕は興奮したいし震えたい。貪欲だ。

 『急に売れ始めるにはワケがある』という本は社会心理学の本で、バズることについて、その話題が広がっていく経路やタイミングについて書かれた本だという。今はあまり読みたいと思う本ではなかったけど1ページ目をみて驚いた。

『【ティッピング・ポイント】THE TIPPING POINT

あるアイディアや流行もしくは社会的行動が 、敷居を超えて一気に流れ出し 、野火のように広がる劇的瞬間のこと。』(引用元:マルコム・グラッドウェル著 高橋 啓訳『急に売れ始めるにはワケがある』ソフトバンク文庫)

 野火という言葉が出てきたから驚いた。

 今このタイミングで、『野火』を読んでる時ににこの本が届いたのは全くの偶然だが、必然という感じもする。巡り合わせは本当に存在する。物理学でそろそろ証明されるだろう。情緒も何もないタイトルだけど読んでみようと思う。そもそも英語版のタイトルは“The Tipping point”でありこんなタイトルじゃない。情緒を伴わない改変をした方が売れるのだろうか。そういうデータがあるのだろうか。

 原題を探すついでにこの本について入ってきた情報。この本はあらゆる「感染」(おそらく情動的感染、ミメーシスのこと。)の原因を説明しているらしい。これもタイムリーだ。バズるとか口コミとかは結果であって原因ではない。僕はこのタイトルが気に入らない。これでは原書がかわいそうだ。『ティッピング・ポイント』じゃあ売れないだろうけど...。むしろアメリカではそのタイトルで売れたのだから、日本とアメリカではタイトルの付け方と売れ行きの関係は違いがあるのか疑問を持った。二冊ともとても面白そうな本だ。嬉しい。楽しみだ。

 


2020 4/1

 雨。眠れないので『野火』の続きを読み切る。信仰や、自然さを追求した果てには狂気しかないのだろうかと心配になった。

 僕はこの小説に書いてあることの方が現実といわれてるもの、もしくはシステムよりも真実のように思えた。それは錯覚のはずだけど、錯覚には思えない。

 CANの“Ege Bamyasi“を聞く。

朝に寝付く。6時から15時まで9時間睡眠。

 やることもないので本を読む。読書と勉強の日々。これが続けばいいと願う。

 キース・ジャレット”The Köln Concert “。最高だ。即興ピアノのコンサート。途中で自分も、演奏者も何をやってるのか分からなくなる。そういう瞬間が音楽に関わっていて一番幸せだ。とても聞きやすくメロディックなのであらゆる人にお勧めできる作品。

 楽譜を読む。一日に二時間くらいならできる。やることも続くし、やる気も続く。1000時間やればそれなりになるらしい。1日に二時間なら一年で720時間だ。一年でそれなりになれるなら、そのくらいの習慣をつけるのは苦しくないだろう。

 『思考都市』を読む。僕はついテキストに惹かれてしまう。なぜだろうか。魅力的な絵が並んでいる。装丁も可愛い。素晴らしい本。

 インターネットのテキストサイトにハマる。また思索を繰り返してばかりだ。行動の人へ踏み出す。

 


2020 4/2

 昨夜はなぜかまた8時まで眠れずいろいろやっている。ギターを弾いたり、本を読んだりその程度だけど。8時に寝付く。12時までの4時間睡眠。晴れ。

 教育実習の委託金を払いに行く。腰が重い。謎のお金だ。ただ、払った瞬間に心が少し楽になったので、お金よりも払わなくてはいけないというタスクが心を重くしていたらしい。

 気づけば文庫を八冊買っていた。エッセイが多い。忌野清志郎の連載と星野源のエッセイを読む。面白い。ポップな音楽をやる人は文体も努めてポップだ。本人たちは文才がないって言ってるけどそうは思えない。

 とはいえ本を読まなくてはいけない。帰る。桜が綺麗。

 楽譜を読む。17:00 に帰ったのに最終的に22:00までかかってしまった。休憩が長いのだ。

 モーツァルトはよくわからない。あまりに美しい旋律を歌っていたことに今更ながら気づいてゾッとする。

 ユザーンのインタビューを読んでユザーンのアルバムを聞く。自分の音、という言葉を最近多く見るので自分の音というのに興味が出てくる。

 清志郎に本には、本気でやりたいなら漫画にかけるくらい明確なストーリーとして将来のイメージが描けるはずだ、と書いてあった。

 僕はホテルもしくはホテルみたいなところに住んで、ミラノのスカラ座で歌った次の日にカフェで酒を飲みながら客席で歌って、オフには小説を書いたりアヴァンギャルドなライブハウスに出演したりしたい。路上で適当にギターを弾いていたい。どこでだって歌いたい。そんな感じの未来を描いた。妄想で。

 眠かったので寝る。昨日の深夜というか今日の明朝にギター弾いたからいいや。

 


2020 4/3

 3時起床。やることないのでギターを弾く。ギターを弾く前には音源を聴くようにしていてそれはなんとなくスイッチを切り替えるためなんだけど切り替わってる感じはしない。知久寿焼のライブを聞く。良い。

 8時に寝る。16時までしっかり8時間睡眠。社会。社会からの断絶を自らやっている。社会との接し方がわからない。お外は怖い。

しかし怖いとも言ってられないから家を出る。自転車で国分寺まで向かった。気まぐれに、3時間あれば着くだろうと思って行った。着かなかったのだがこの時には着かないことを知らないから行った。

 今の書き方は山下澄人のパクリ。

 新宿付近の人混みを自転車で駆け抜けようとする。歌舞伎町界隈にいっさい良い思い出がない。今日もだ。おじいさんに触れかけて怒鳴られる。怖いので逃げる。追われる。さらに逃げる。怒鳴らなくても良いじゃないか。逃げるしかないじゃないか。しかし俺にも落ち度があり、それは確かだから逃げたことは良くない。きちんと自分の非を認めて謝るべきだ。でも僕は急いでいたし、でもそんなの筋を通すこととは関係がない。自己矛盾。しかし引き返す気も起きない。自己嫌悪。これは懺悔の文章です。

 結局20分遅れて到着する。怒られない。優しい。安心感が大事だ。

 帰り道。4時間かかるが、帰る時にはまだ知らないので行った。メンチカツとほうじ茶。おいしい。セブンイレブンはすごい。どこでもおいしい。東京のいろんなセブンイレブンに入るけどどこに入ってもおいしい。この事実はどこに行っても言葉で共通理解を得ることができる事実と繋がっている。

 新宿を通らず迂回して帰る。新宿に良い思い出がない。とはいえ代々木の方を通るだけだから少し南にずれただけだけど。

 皇居の外周部でタヌキを見る。小さな雲みたいな見た目だ。真っ黒な雲。かわいい。目が光っている。こわい。

 そして僕は家に帰った。太腿の前面が痛くて、長く立ち上がれない。自分が普段どの筋肉を使って立っているのかがわかる。痛みを持ってでないとわからないことがわかれたから、痛みも悪くはない。下半身は鍛えていなかったけど、ここまで筋肉不足とは知らなかった。鍛える気はない。

 


2020 4/4

足が痛すぎる。起きる。何をした記憶もない。眠る。