ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

苦悩の人と行動の人

 羨ましいことは羨ましいと言おうと思った。一般的に評価される歌を歌える人が羨ましい。やっぱり社会的承認を得ている人、いいなあって思う。

 その羨望を隠しつつ、そういう人と接すると、ルサンチマンが自分の体や文章から漏れ出ていく。その自分を見て辛くなるんだ、僕はたぶんTwitterを見ていて自分の体から漏れ出るルサンチマンに耐えられなくなったんだと思う。

 羨望が憤りになる瞬間がある。自分の持っていないものを持っている人は腹立たしい。羨ましいと恨めしいの語感にどんな関係があるのだろうか。

 自分がやれることをやればいい。それはわかる。やれることを通して社会に参入しないと生きてはいけない、間違っているのは社会の方だとずっと思う。僕は中学生みたいなものだ。厨二病だって馬鹿にするのもなんか違うと思う。疑問を黙殺するのは嫌だ。シンプルに生きていく。

 


 自分の文章を読んでいて凹むことが多い。下手だからじゃなくて、全体的にどこか悲しい感じとかやるせない感じが漂っているから。書いた人の性格が出てしまう。

 読んでいて元気になる文章が書きたい。希望を書くことがなぜ悲しく見えるのか。希望を書くとなんとなく悲しい。

 〜したい、と書くのはそれをできていないからで、そして未来できる確証がないからだ。だから希望を書くことはつまり欠乏を書くことだ。だから、希望を将来に託す文章はみんな悲しい。日記はその点過去にすぎたこと、終わったこと、出来たことしか書かないから。

 悩んでいる文章もダメだな。悩みを書くのはやめよう。いや、書くことによって悩んでいることが可視化できるならいいのかもしれない。デトックスに人を付き合わせるのはいいことじゃないけど、悩んでいない時もあるから、そういう調子の良い時が続くように自分を振り返って色々考えてみようと思う。

 その基準はわかりやすく、行動できているかできていないか。人と会えてるかどうか。人と会った時に名前を覚えているかどうか。