ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

こんなことしてちゃ絶対戦争すりゃすぐ負けちゃうよ

 俺には知恵がないんだ。戦争になったら負けてしまうと感じるのは、知恵を持たないからだ。

 『野火』には知恵が数多く記述してある。

 『膝から下が保護されている場合、地に匍う動物は無視することができる。』

『私の喉の真に欲している水は、別にあるのに気がついた。その海の水であった。山で私は長らく塩を摂っていなかった。』

(引用元:大岡昇平著 『野火・ハムレット日記』 岩波文庫)

 


 これは、知恵だ。戦争中のサバイバルには知恵が必要だ。戦争に勝つには少なくとも生き延びなくてはいけない。国が勝つためには兵士が、そして自分が勝つ(この場合の勝利とはできるだけ良い形で戦争を終えるということだ。)ためには自分が生き延びることが前提になる。この小説のように死ぬことが予感されているとしても、やはり生存のために動き続けた結果死ぬのと、止まって死ぬのとでは大きく違う。止まるということは諦めることだ。諦めは安心を伴う。生存は喜びを伴う。諦めは退屈だ。退屈に死ぬか喜びの果てに死ぬかの違いなのだろうか。

 死に向かう方が喜びが多いのは当たり前かもしれない。死ぬ瞬間は苦しみを紛れさせようと大量の麻薬成分でトリップするらしいから。ただ、死の瞬間にある明晰な時間が、ケミカルな作用だとはなんとなく思いたくない。僕はスピリチュアルに片足突っ込んでるのかもしれない。

 知恵とは知識をどう働かせるかということだ。目的を達成するために自分の知識をいかにして働かせるかということであり、日常的に行なっている。知恵は名詞なのに動詞のように扱っている。知識をドライブする。働かせる。知識と知恵は違うと思っている。

 目や耳や口はただ受信する器官じゃない。受信はもちろん彼らの第一の役割だけど、目や耳は他の道具と一緒で一般的な使用法にとどまらない色々な使い方ができる。

 楽器が入力された音や動作をボディで共鳴させて増幅するように、目や耳や口から入ってきた音や響きや情報がボディで増幅される。そういう時に僕らの体や心は震えている。

 僕は自分が興奮できるものがいいと思う。ビリビリに震えながら、震えることで不安定になることで安定する。生命は常に矛盾を孕んでいる。

 ボディに直結させた知識のことを知恵というのかもしれない。