ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

動き続けなくてはいけない。

 千葉雅也は動きすぎてはいけないと言った。僕は敬愛する作家に反旗を翻そうという気はない。これは自己啓発的な文章だ。メモだけど。僕が最近出会う人々は言い方は違うが結局みんな動き続けなくてはいけないと言っているように感じる。これはパロディだけど、僕の中の必然性から出てきた言葉だ。

 とはいえ言いたいのは思想でも研究でもなんでもなく、自己啓発の域を出ない。成長するということについてだ。

 保坂和志が色んなところで、小説家というのはどんな小説を書くんでも小説を書くことによって成長し続けなくてはいけないと言っていた。

 成長とはなんだろうと思った。上手くならなきゃいけないという意味も含まれていそうだけどそれだけではないはずだ。とても複雑な概念。成長。

 坂口恭平は自転車を漕ぐように、という喩えをよく使う。自転車を最初に漕いだ時はなんかよくわからないままだったしめちゃくちゃこけたけどいつの間にかできるようになってて、転んだことだって忘れてるみたいな、そういうこと。

 つまり成長し続けているということだ。自転車を通して成長しているというか自転車において成長している。僕たちはみんなそうやっている。そういう動きのことを生きると言う。

 そして音楽家は音楽をやることで成長しなくてはいけない。

 成長とは今この瞬間の状態よりも少しでも良いところから行動を始めるということで、音を出すときに今この瞬間より少しでも良いところからスタートしなくてはいけない。音楽家が音楽家でいるということは、音楽をやる瞬間に常に最高値を更新し続けるということで、つまり小説家が小説を書く瞬間に書き始める瞬間にもうその人間の今までの位置からすこしでも良いところでスタートしなくてはいけないように、何かをするときその直前の自分より、完全に良い位置からスタートして、運動の最中に成長し続け、つまり動き続け、変化し続け、それはつまり創造し続けていくことを言う。

 プロフェッショナルとはそう言うことを言う。肩書きとか年収とかそんなことがプロの条件ではない。

 だから生活の上でそうやって生きる人は生活のプロだし、活動すると言う意味では僕は活動家だと言える。あらゆる人が活動においてさらなる高い位置からスタートしてもっと良いとか美しい方向に向かうことができてそう言う意味においてあらゆる人が活動家であり生活家なのだと言える。

 それは具体的に体が成長していると言うことだ。物理的に。体が成長するように歌ったりピアノを弾いたりギターを弾いたりしなくてはいけなくて弾き語りってめちゃくちゃ複雑な動きなんだと思う。複雑だと思ってやるとできなくなるけど、それだって成長し続けることを考えていればできるようになるはずで出そうとする音があればその情報量は少しだけでも漏れ出てくるものだと思っている。