ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

価値を生み出さないメディア

 広告って、「人に行動してもらうために」作るものらしい。あなたは知ってましたか?僕にはそんな視点全然なかった。

 でも言われてみれば、広告とは購買を促すもので、購買とは行動だった。納得。だから僕はなるほどとうなづいて、今こんな文章を書いてる。

 毎日いみふめいな事を書いてるこんな感じのブログでも、一応記事ごとにテーマがあって、テーマがない時も考えのようなものがあって書き始めてる。ノリみたいな。

 例えば、『テーマパーク』って記事は小説っぽく書こうと思っていたし、『奇妙な記憶と、小学生による昔についての考察...』っていう長いタイトルの記事は文芸批評の体裁を借りようと思って書いた。

 とはいえ、それぞれテーマ通りにはならなかった。だからこそユーモラスだし、スリリングだと思ってる。テーマ通りにいかないところが、文章の楽しさだって思ってる。

 閑話休題。言いたいだけだが。

 今日の記事は、価値について考えたいと思って書いているんだ。タイトルにもある通り。

 価値ってなんだろうか?僕は単純にメリットと同じ意味でこの言葉を使ってる。じゃあ、メリットって?僕の中のメリットの定義はこうだ。

「その商品やサービスが自分に何をもたらすのか。」

 そう。だから僕は、価値を期待して何かを買ったり、リンクをクリックするときに、その対象が自分に何かをもたらしてくれると信じている。

 ネットの記事を買えば幸せな数十分が。演劇のチケットを買えば幸せな数時間が。ギターを買えば幸せな数十年が、頭の中に浮かんで、熱に浮かされたかのように買う。満足する。けれど一瞬だ。一瞬でも満足したら、また買うだろう。

 それらは洗練された広告で僕を幸せの熱にひきずり込もうとする。よく見てみると、知らない有名人の名前で権威づけられたりしてるけど、熱に浮かされた僕は気づかない。それに、わざわざメタ的な事なんか考えなくてもいいんだ。彼らは親切で、僕に満足を与えてくれる。夢は気づかなければ永遠に覚めないのだから。幸せは続く。お金のかぎり。

 その広告が素晴らしいのは、僕になにかメリットをもたらしてくれると思わせるからだ。そういうものを「価値がある」と言う。

 ここまで考えて(考えながら書いて)、ふと自分のブログを見返してみたら、広告を見た時の熱はそこにはなく、読みづらい言葉ばかり並んでる。

 この読みづらい言葉が、他人の自己実現に寄与しているとは思えない。端的に言って、得られるメリットがあんまりなさそうだ。

 僕は自分の文章や記事を愛しているので、めちゃくちゃ面白い事を知っている。だけどPV数を伸ばすためには、その面白さをあらゆる人、もしくはターゲット層を定めて、その集団の人々に分かってもらえる手を打たなければ...。

 マジメに反省すればきっと良心的なブロガーはこう思うのだろう。僕はマジメじゃなかった。

 おそらくだけど、価値には種類がある。メリットには普遍的なものと個人的なものとの間で大きく差がある。

 僕は普通、価値っていうとき、市場価値のことを考える。いくらで売れるとか、何人見るとか、そういう数字と交換して初めて意味を持つ価値のこと。

 ただこのブログの場合、市場価値はあんまりなさそうだ。人が気にいるトピックスはないし、提示できるメリットもない。

 これが『副業アフィで生きていくブログ』とかだったら人にアピールするメリットには事欠かないだろう。「たくさんの人に見られるSEO」とか「ブログを始めてから今までの収益」とか、読んだ人が何かを得られそうなタイトルと中身を考えるのは苦じゃない。

 それが『ゲージュツ的しつけ』になると何が何だかわからない。でも僕はその分からなさに価値を感じてる。愛してる。

 これは、お金やPV数で相対的に価値が決まる市場価値に対して。絶対的に価値を感じることのできる、愛に根差した価値とも言える何かが存在するということだ。当たり前の事を言ってるなと思った。

 たぶんここまで読んでいるあなたは何かを得ようとしてここに来てくれている人ではないだろう。もしそうだったら申し訳ない。ここにあるのは僕の個人的な享楽だけだ。めちゃくちゃ面白いと思う。でもそれは人による。あなたがめちゃくちゃ面白がってくれたらうれしいけど、それ以前に僕がめちゃくちゃ面白がってる。経済で回り続ける世界からしたらほんとうにくだらないだろう。僕はくだらないことが大好きだ。くだらないことは絶対的で、愛に根差しているから。個に根ざしてると言ってもいい。

 だからここは、価値を生み出さないメディアだ。正確に言えば、市場価値を生み出さないメディア、が正しいけど。タイトルには価値を生み出さないという価値を提示したつもりだ。皮肉っぽく。うまくいってるかはわからない。僕がコピーライト業界に行く日はきっと来ないだろう。

 でもここには享楽があり絶対性があり愛がある。この絶望的な世の中で僕が唯一逃げ込める最高の遊び場だ。ディズニーランドのようなこのブログ。価値を生み出さないことで、交換の世界から逃れられる気がしている。

 フェレットのしつけは、価値を生み出さない人間として、価値を生み出さないメディアを運営し続ける。少なくとも、100日間は。