ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

ぼくはどうでもいいことを書いていて、どうでもいいことが大事だって言い続けたい。

一斉休校とシルク・ドゥ・ソレイユの間に一体どんな関係があるのだろうか。ぼくのTwitterのトレンドには同じ欄で紹介されていた。というか、一斉休校の話題のところで〇〇.〇〇〇人がシルク・ドゥ・ソレイユについてツイートしています。と出ていた。こういう奇妙なことは世の至るところにある。

 ぼくが昨日の明朝に終電後の東京を彷徨っていたとき、人が死ぬとか、猫が死ぬとかそういう文章を書いた。深夜で、なんとなく悲しくて、だからそういう文章を書いたのかもしれない。その文章を書き終わってすぐ、橋に差し掛かった。名前を霊岸橋と言ったその橋は至って普通の橋なのだが、川にはお化けが集まるという。ぼくが文章を書いたこと、終電を逃したこと、歩いていたこと、川があること、橋があること、すべて独立したそれぞれの現象だ。その間に関連性も意味もない。

 時事的なことをなぜ話すのかというと、書くことがないからだ。書くことがないとき、人はいくら嫌でも時事的なことを話すしかない。現実にないものを書くだけの体力とか、やる気とかがあれば話は別だけど。

 同じように話すことがないとき人は天気の話とかをするしかない。ツイッターのネットナンパ界隈では、本人のことから話を始めて、家族や友達のこと、過去のことや将来の希望のこと、に向かって話を進めていくことで深い話ができると言う。ぼくは本人のことすら話せない。あ、その、服、あの...いいと思うよ、はは、いや、なんでもないんだ。みたいな。いい天気だね言えることの強さ。いい天気が好きだ。

 なので時事的な話をしようと思っている。シルク・ドゥ・ソレイユが95%の人員を解雇するという。

 一斉休校は終わるのだという。

 一人一律十万円給付するかもしれないのだという。

 どうぶつの森が発売されたのだという。

 どうぶつとの濃厚接触がしたいぼくは。

 以下は今日書いてみて書ききれなかった種々の文章の垂れ流しである。ぼくはどうでもいいことを書いていて、どうでもいいことが大事だって言い続けている。

 


自分の文章の市場価値について

 


 ぼくの文章に市場価値はない。

 これは自虐とか病んでるとかではなくて、言い切るのも妙な話だがぼくの文章は大多数の人の役には立たないからだ。

 ぼく自身は役に立たないものが大好きなので、自分の文章はめちゃくちゃ好きだし、自分にとってこのブログやツイッターその他の価値は他に替えがたい。なので、ツイッターの過去のアカウントが凍結して悲しかった。

 さて、社会学者や心理学者による長年の研究の結果、人間が非常に興味を持つ話題というのは既に解明されている。

 食・健康・格差・金・性の五つの話題だ。

 これらの五つは人間の生物学的な欲求に根差しているため、人に受け入れられやすいらしい。詳しいことは『現代広告の心理術101』という本で読みました。

 人間は基本的に自分自身のことをまず真っ先に考える。つまり、先ほどの五つのトピックスには「自分の」という枕詞がつく。

 では、これらを踏まえて文章の市場価値とは何か。それはたぶんそれぞれの人間の

 

 

 

 


 自分を疑わないでいることが謎だ。自分が正しいと、思えないから、人にものを教えることができない。

 


思考の疲れが頭に、人間関係の疲れは鳩尾あたりに来るから、頭をとろけさせるのと、鳩尾の力を抜くのが大事。

 心臓がバクバクしているとやる気が起きない。やる気が起きない時は心臓が疲れているのかもしれない。

 帰りたいと思う時は、何もしたくない時。そういう時は鳩尾と心臓を気にしてみる。

 鳩尾、心臓、頭の三つの場所が過剰に働いていると疲れる。不調を感じたらこの三つを意識してみる。

 


 何を思ったのだか忘れてしまった。何かを思ったからメモアプリを開いたはずだ。