ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

僕はこの文章を投げるだけだ。あなたはそれを読み、自由に読み、何かを思ったり思わなかったり自由なアクションをする。無意識のうちに。

   僕は自分がいい人間か悪い人間かなんて、わからないし、できればいい人間だと思っていたいが、みっともないし、かっこ悪いし、お金だって節約できない。

 デール・カーネギーという人の書いたコミュニケーションの本を読んだ『人を動かす』というやつでだいぶ前に話題になった本らしい。母親が持っているのを見て、その緑の表紙の嘘くささに敬遠していたけど、読んでみた。最初の方のページが面白かったから。

 カーネギー曰く、人間は誰しも自分が正しく、人道的で、愛情に満ちていると考えている。麻薬を密売し続け、何人もの市民を廃人にして、経済活動を滞らせたマフィアのボスでさえ、自分は慈善家であると疑わなかった。自分を疑わなかったからそこまでの地位にのし上がれたのかもしれないけれど。

 自分のやっていることは社会とか人とかのためになる良いことである、というのが人間の基本的な心理らしい。であれば自分を疑うことも、自分を疑うことのできる内省的で進歩的な人間であると、自分のことを思いたいから、僕の懊悩だって結局は正当化の一種だと言える。

 こうして自分の疑いを正当化だと言い切ることで、疑いを正当化している自分を正当化している...と続けていけば、永遠に終わらないメタゲームの中にどんどん埋没できる。それはたぶん、反省したことにはならない。

 みっともない自分がやるせない。人のためとは言え、嘘をつく自分が虚しい。こうしてだんだんと、だんだんと、どうなるのだろうか。どうにもならない気もするし、どうにかなる気もする。

 やるせない、虚しいの根本は寂しいからだ。寂しいから僕は文章を書いてるし、歌を歌っているんだろう。目的はただこうして書いて、読んでくれる人のことなんて考えずに書いて、あなたは読んでくれていて、そのことがただうれしい。コミュニケーションを求めている。コミュニケーションは、この文章を読んで、何か思うとか読み飛ばすとか、リンクも開かないで、ツイッターの向こう側に仕舞い込むとか、その瞬間にそれぞれ達成されてる。

 僕はこの文章を投げるだけだ。あなたはそれを読み、自由に読み、何かを思ったり思わなかったり自由なアクションをする。無意識のうちに。僕もまたほぼ無意識でこれを書いて、投げる。また明日も何か書いて、投げる。