ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

展覧会みたい

  頭の中に思いついた事柄が書きたい事なのかもしれない。書きたいことというのがどういうものかはわからないけど書くべきこと、書くべきでないこと、書く必然性の有無というか、そういうのは存在するのだと思う。

 千葉雅也が、千葉雅也の言葉ばっかり言ってるけれど。好きなんだ。その千葉雅也がこの間、浮かんだ言葉をそのまま書けばいいと言っていた。伝わるような言葉遣いに直したり、同じ概念を正確に同じように記述する必要はない、と言っていた。

 僕は自由に書くと本当に言葉の意味とかがぐちゃぐちゃでつながりもぐちゃぐちゃになってしまうのだがそれはそれでいいのかもしれない。自信を持ってしまった。正確な記述は必要な時がある。それは確かだ。しかしいまの時代正確な記述が必要とされる場所よりもラフに書ける場所の方が多いから、こんなふうに思いつくままの記述もいいのかもしれない。公開しないし。尚更。

 百文字でも千文字でも多く卒論を書く時間にあてよ、という文章を読んだ。Twitterに投稿している暇があったらその文字数を卒論に注ぎ込め、というツイート。修士課程に進学する人向けだった気がする。修士課程に進学する、迷うところだ。大学院。嘘みたいな響きだ。行かずに済むなら行かないで済ませたい。

 文章を書くには小説も詩も動作が大事だと思ったのを思いだした。幸せの範囲とはどの程度だろうか。時計に目をやった。俺はあの子のことを思い出していた。あの子とは彼女のことで、彼女とは付き合ってる女性のことだ。スーツケースにスーツが入っているところを見たことがない。まるで嘘つきが月明かりの中突き当たりで曲がって見えなくなってしまったときのように軽い足取りで交差点を曲がる足の長い、白いズボンを履いたとんがり帽子の男。スナフキンに似ていた。脳みそが活発なうちにこういうのを書いておこうと思った。時計に目をやった。ここで時計に目をやった、と書いたのはこのフレーズのリフレインが何か意味を持つのではないかと思ったからだ。ここでこうして記述の意味を説明したのは説明することによって何か意味を持つのではないかと思ったからだ。僕はリフレインが好きだ。言葉遊びも好きだ。レクリエーションのリフレイン。リラクゼーションロコモーション。なおどこからが冗談かは誰もわからないものとする。告白の成功確率を求めよと、書いてあったから僕は鉛筆を転がした。君のために手帳に鉛筆で書き込む。消せるようにだよ!なんて説明する少年のなんと可愛らしいことか。

 何かを書こうと思っていると何も書けないでいるか意味を求めてしまってそうしているうちに例えばもう目も当てられないようなゴミ箱の中に捨ててしまいたいのにまだ捨てられないでいる図画工作の作品みたいなどうしようもない文章が生まれてしまってそれの行き場がないからインターネットに公開するのだけどするとインターネットに公開するために文章を書くようになってしまい結果的に図画工作の失敗作がいくつも並んだ見苦しい展覧会みたいなウェブサイトが存在することになってしまう。

 マイナスな言葉で文章を終わらせたくないし、終わりのない文章を目指したいものだ、とか言うとカフカを気取っているのかとか、保坂和志に影響を受けすぎとか言われる。保坂和志の本を大学でなくした。誰かが拾っているから、無いのか、拾って、そのまま自分のものにしてしまった人がいるなら、その本はあげるから、一緒に感想を言い合いたい。僕は異性愛者だから、そんなふうにして女の子と出会えたらどれだけ幸せだろうかと思ったりもする。僕がする妄想はほとんどが女の子のことだ。