ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

フェレットのしつけ的な願い

 大学に、動物と話ができる女の子がいる。嘘だろうと思っていつも一緒にいて見ていたのだが、迷い込んだ野良猫とも何か意志の疎通をしているのがわかった。僕が動物に伝えてほしいことを言うと、彼女は翻訳して伝えてくれる。それは身振りの時もあれば、目を合わせるだけの時もあるし、触ることもあれば、話しかけることもあった。南米の一部の鳥は匂いでコミュニケーションをするらしい。彼女は調香師のように、いくつかの香りがする草花を見せてくれた。冷たい香りや、すっとする香りや、広がるような香りが広がる花たち。彼女からはいつも様々な刺激を持った香りがしていた。それは決してイヤな香りではなかった。

 彼女はほとんど言葉を使わなかった。言葉の外に自然なものがあることをしっていたのだ。僕はそんなこと全くわからなかったから、つい彼女に言葉で語りかけては少しだけ素っ気なくされた。歩いていると、呼吸が伝わってきた。

 祭り、祭り、祭り。言葉の外に出ること、共同体の外に出ること。眠い。踊る。身体性の回復だ。

僕は言葉の外に出たかった。彼女の座った跡には必ず言葉がこぼれ落ちていて、その言葉を彼女は忘れてしまう。

 林檎、さようなら、遠い、アクシデント、何もない。何もなくなってしまうのだ。社会が落ちていた。世界は、どこにも落ちていなかった。

 言葉はだんだん、意味を持たなくなる。目線で全てが分かればいいのに。そういうと彼女は小さく首を振った。暖かい春のことだ。

 たとえば手、たとえば目、耳、表情、動き、何もかも。それらは高次元に繋がってでもいるのか、僕はなんとなくわかる。彼女ははっきりとわかる。彼女がはっきりとわかった時、彼女の中から言葉は消えていく。一つずつ剥がれていく、剥がれていく。

 僕のことを見て笑った。そして毎回、嬉しそうに手を差し出す。僕は知っている。それは彼女にとってはじめましての挨拶なのだと。記憶とか意識とか、一体何で作られているのだろうか。僕のことを忘れても、僕のことを気に入ってくれる彼女の、最後にこぼれ落ちる言葉を見つけようとそっと目をのぞいた。目玉のちょっとした変化を読み取ることができるかもしれない。僕にだって。また遠くに行ってしまうような気がする。彼女は病気なのだろうか。病気とはいったい何なんだろうか。忌避するべきなのだろうか、陽だまりの中で動物に囲まれて眠っている彼女はどうしたって美しいのだ。

 僕の愛が意味をもつのは、意味、意味、コミュニケーション、全てが通じ合えばいいのに。彼女は首を振って、いつ目が覚めるのだろうか。このまま雨が降らなければいい。僕の言葉にコントロールなんてされなければいい。どこまでも深く潜っていきたい。言葉なんて忘れてしまえる文章が一番いい。