ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

好きになる、創る、享楽

ある人間が「心の底から願っていること」「ほんとうに欲しいと思ってること」は、じつは「その人が他人に対して【与える】能力を持っていること」なのだ。

 これは僕の文章ではない。二村ヒトシというAV監督の著書『全てはモテるためである』という本に書かれた言葉だ。この一節がやけに印象に残ってしまった。

 この『全てはモテるためである』という本はタイトル通り「モテる」ための本だ。モテたいから読んだ。しかし、考えることが増えてしまった。この本は、ナンパ本みたいに「悩んでないでヤっちまえ!」的なメッセージを伝える本ではないし、恋愛工学の本みたいな「モテるためのテクニック」を教える本でもないからだ。

 モテるとは一体どういった状態で、そこに至るために何を自覚して、どう変わっていけば良いのか、を一緒に考えるような本だ。そもそも論のような話だから手っ取り早くはない。けれどその分「モテる」とか「魅力」という事について深く掘り下げているので、いろいろ考えるし、たぶん役に立つ。そして応用が効くし、なにより面白いのだ。

 なぜ面白いかというと、この本はモテるための本でありながら、なぜか文章とか創作とかそういう事に繋がる言葉がたくさん出てくるからだ。

 モテについて書いた本は、コミュニケーションを扱う本であり、創作や表現とはとても広く考えればコミュニケーションをするという事だから当たり前なのかもしれないけれど、全編を通して創作に応用できそうだと素直に思ってしまった。

 冒頭の言葉に戻ろう。再掲します。

 ある人間が「心の底から願っていること」「ほんとうに欲しいと思ってること」は、じつは「その人が他人に対して【与える】能力を持っていること」なのだ。

  この文章は、本の中で【モテたい男たち】は、「モテたい」と思っている気持ちの分だけ「愛されたい」のだから、じつは「モテたい」やつほど愛することができるのではないか、という文脈で登場する。

 この文章はもちろんモテることについて書かれたのだけれど、創作全般(つまりはコミュニケーション全般)に繋がっているのではないだろうか。

 僕の尊敬する、大好きな音楽家坂本慎太郎さんがある時インタビューで「自分が『こういう音楽があったら聴きたい』『こういうレコードがあったら欲しい』と思えるものを素直に作りたいと思っています」と言っていた。

 坂本慎太郎の言っていた事と、冒頭の文章は同じ事を言っているように思えた。

 もちろん現実にはこんな簡単に図式化できることでもないし、当てはめられるものではないことはわかっている。「好きこそものの上手なれ」的理想論であるとも思う。しかしこの受け手→送り手の関係は確かに存在するとも思う。

 また哲学者の千葉雅也が、「自らの欲望を享楽することが他者の享楽になる。そういう欲望のあり方が存在する」と言っていたことも思い出した。この欲望のあり方は、僕にとって、とても理想的なあり方だと思う。そしてこの欲望のあり方は実在する。

 自分の楽しみが、他の人の楽しみになる。そして愛することが愛されることに繋がっている。こうした欲望のあり方を探している。たぶん、素直であることがここへ繋がっているのだと思う。無理をしない、我慢をしない、というか無理や我慢すら享楽してしまう、かんじてしまう、夕暮れの景色のような、緩やかな快感の中を彷徨っていたい。


https://youtu.be/hdboSvUtHgM

(ゆらゆら帝国、『無い!!』)