ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

「頑張らない」の効能

 遊ぶのって難しい。何故かって、むかしっから学校では勉強をしろって教えられてきたし、部活や卓球のクラブチームでは練習が、努力が全てだって教えられてきたから。僕は遊ぶのが好きだったし、今でも大好きだけど、遊びで始めたスポーツも音楽も「教室」とか「チーム」とかでやると何故か遊びの楽しさとは全く変わって、苦しい努力の世界になってしまう。だからいつのまにか遊び方が分からなくなった。みんなはそれを本格的にやる、とか本気でやる、とか言うらしいけれど、本気でやるには楽しさを捨てなくてはいけないって本当なの?思っていたよ。

 「努力は裏切るが、成功した人間は全員努力をしている」

 「努力を努力と感じない人間のことを天才と呼ぶ」

 「涙の数だけ強くなれる」

 こういった言葉がみんな大好きだ。苦しみと実力がトレードされる関係にあって、頑張ること=苦しむことを経て人間はより良くなれると言う命題をみんな結構よく信じている。僕は極端だからこういう主張を見ると、苦しまなければ良くなれないのではないか、と恐ろしい気持ちになる。でもその意見ってマゾヒスティックな感覚だし、だれかの性癖に付き合わされているだけじゃないか、とも思う。(岡本真夜さんごめんなさい)

 この考えの根本はきっと弁証法にあるのだろう。一つの命題に対立する命題をぶつけ、議論していく中でより良い合意を得る、という考え方だ。人間に対して困難が立ちはだかり、それを乗り越えることでより良い人生が開ける。スポ根的な発想も根本は弁証法だ。ヘーゲルさんはすごい。

 いや、こんなの愚痴にすぎないな。僕は、もっと楽で良い、頑張らなくていいよって言いたいだけです。それは真剣にやらないとかそういうことじゃなくて、楽しむ、遊ぶ行為の延長線上で真剣にやるということ。闇雲にならない、と言い換えても良いかもしれない。

 なぜなら、苦しんでも苦しまなくても続けてさえいれば人間は良くなるからです。性癖に合わないことはやらなくて良い。真剣に、苦しい思いをしながら魂の力で続ける、それは確かに良いことだし素晴らしいのですが構造的に無理することを孕んでいるのでいずれ体か心を壊します。うまくいったとしても後進を抑圧するようになってしまう可能性があります。

 その人が良くなったのは抑圧されていたからではなく、続けてきたからです。それを、抑圧があったから良くなれた、技術を習得できた、と考えるのは明らかに違うと思っています。

 続けることを目標にしたら、頑張るよりも遊んだほうが絶対にいいです。何せたのしいので。それをけしからんという人は、楽しむなんてけしからんと言っているわけで、じゃあなぜ始めたのか。という根本を忘れています。抑圧系の人だって多分、たのしいから始めたんです。

 なんか良くわかんなくなってきたけど、とにかくみんな、難しいけど、遊ぼうよ〜。雑な啓蒙みたいになってしまいました。おわり。