ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

おやすみのまえに

  一滴の水が今ちょうど水面に落ちようとしている。一瞬のうちに水面に触れた水は水面との間にお互いの引力を発生させて一瞬だけ水柱を作るだろう。そしてぽちゃんと水滴は沈んでいき、いくつかの水滴を産む。その後で水面はなだらかに流れていく。

 小学生の男の子が描くお絵かきの、地面として引かれた一本の線のように水面は平たい。限りなく遠くまで広がる水平線も、水平な一本の線に過ぎない。デジタルのような水平線。裏側には真っ暗なポリゴンの深淵が広がっている。この水面はディスプレイの一部分に過ぎず、0と1の狭間で基本的には永遠に真っ暗だ。表面だけが青く、かすかに波打つ平坦な水面を写している。

 現実の裏側はプリントされた世界のように平面的だった。であればパソコンのファイルを一瞬で移動するみたいに、ディスプレイの優先度を変化させるみたいに一瞬で移動できるかもしれない。この目の前の水面が例えば砂漠や、荒野や、ジャングルになったっておかしくはないのだ。ゲームのバグを利用してポリゴンの裏側を探検するような気持ちで、一度、目を閉じてみる。

 目を閉じた先はやっぱり真っ暗だ。僕はどこに移動したいのか、何を見たいのか。それはまだわからなかった。わからないうちは目を閉じていようと思った。何を見たいのかわからないのであれば、今ここで何が見えるのかが問題だ。目の前にあるのは変化し続ける暗闇だ。それはポリゴンの裏側のように永遠に続く平面でも深淵でもない。有機的な暗闇。有機的な深淵。体調や身体と密接に関係しながら存在する暗闇だ。まぶたを強く押さえつければ見えるものも変わってくるし、光を感知することもできる。残像だって残る。マンダラのようにぐるぐる回転しながら模様を変えていく様が見えることもある。それをじっと眺めていたら気が狂いそうでもあった。自分の中から出てくるものや自分の感じたことに正直でありすぎても、問題が生じるのだ。だから水面が必要だったし、では今僕は何が見たいのだろう。霧、影、有機的な暗闇。目を開けた。

 広大な荒野の中で闇が動き続けていた。霧のように白く、周りの影をその身に映しているからグレーだ。全体的に暗い。闇の向こうでかすかに黄金色の光が見える。あれは、見覚えがあった。僕の目の前で立体的な闇が動いていた。これは確かに、ポリゴンの表面だ。表現形態だ。闇は何かの形を作っている。解釈があって世界があるのかはわからない。けれど頭は何かの意味を求めている。よく似た景色を思い出した。あの黄金の輝きは多分、月だ。それならば動き続ける闇の正体は夜だ。

 霧だと思っていたものは実は雲だった。雲も霧も似たようなものだけれど。僕は夜の、空を見ていた。電子的な幽霊にでもなった気分だ。目をつぶって、もう一度目を開けた。グランドキャニオンだ。目をつぶり、開ける。重なり合う鳥の身体だ。目をつぶった。目を開けた。砂漠や、ジャングルがあった。僕は知っていた。それらは全て水面と同じものなんだって。同じでありながら違う。ポリゴンの表面に過ぎない僕のイメージは0と1の狭間で自由に姿を変えた。

 幼い頃の粘土遊びのように、物体の形だけが変わっていく。不定形の遊び場が世界だったんだ。とても楽しかった。今日の旅行はここまでとしよう。目をつぶった。このまま眠りに落ちようと思う。マンダラのようなまぶたの裏側を見続けて、気が狂わないように注意しながら。適当に、無視をしながら。眠るってきっとそういうことだ。