ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

生命を言祝ぐ

 題名のない詩を書いた。


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故郷の電車のアナウンスは

鼻声の女の声

胸騒ぎがうるさい

子供の泣き声がこわい


夢を見たのさ

ゴム張りを貫通する記憶が

君の身体を貫いて息の根を止める


虚しさに眠れぬ夜の向こうで

誰かが手招く方へ

行きたくなんてない

恋の終わりはやけに暖かい


常套句で始まる夜を

眠れない子供のようにぐずっている。

遠く聞こえる罵声を

蹴飛ばして何度でも人を捨てなよ。

寂しい夜を誰かに埋めてもらって

何度惨めな朝を迎える気なんだい?ねえ


夢を見たのさ

温もりを欲しがる身体が

何度も血で濡れる

 


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  FM7、CM7、Am7、Dm7。

 この安らかな循環のような、永遠に続く文章を目指すことはできないだろうか。

 寺山修司の『あゝ、荒野』はジャズの即興のように書かれた小説なのだという。コード進行だけを決めておいて、あとはアドリブで文章をつなげる。そこには予定も作為もない。

 ところで、ジャズのアドリブというのはまったくの即興というわけでもないらしい。メロディはもちろんコードに規定されているのだが、それ以外にも厳密に言えば半音上のキーの音を使うとか、とあるモードの時は音のつながり方がある意味で制限されて、レ♯の次にファ♯を鳴らしてはいけない場合があるとかなんとか、ちょっとしたルールがあるらしい。僕がこの話をしたのは何も自分の知識を自慢したいわけではなくて、即興やアドリブというのがどこまで成立するのか、そしてそれを人間生活一般にまで広げて自然に行なっている行動や常識とか、普通と言われるものの正体を掴みたい、そしてそれは無理なので、せめて手がかりを掴みたいという願いがあるからだ。一言で言えば、僕は寂しいのだと思う。安らかな循環を欲しているのだ。

 

Ⅰ.
 そうして生活は続いていく。どこからか現れたルールやこだわりに疑問を感じながらも、思えば僕だってどこからか突然現れたわけでもあり、偶然の連なりなんて言葉で生命についての説明が十分なされたと考えてもいいのだ。

 それは一つの奇跡である。神秘、未知、どこに続くかわからない洞窟を必死に懐中電灯で照らしながら歩いている遭難者のように頼りなさだけが僕を駆り立てている。すぐに抜け出してしまいたいと思いながらも。

Ⅱ.

 スマートフォンに映る20:10のディスプレイを見ながら身勝手な自分を呪っている。クリスマス。僕の指先が掻き出した血液はベッドに丸い水たまりを作ったし、彼女の身体は、欠損感と不安と、僕には想像できない不穏さを得たことだろう。心臓がやけにバクバクしていた。次の駅は大手町だ。

 不安だった。その不安は血液を媒介として、なんらかの致命的な疾患が発病してしまうのではないかという妄想を伴った。僕はほとんど不能のようにベッドに突っ伏したり、時に体を持ち上げては未完成の融合を試みて、ベッドを血で染めた。僕らの間には未来につながる関係のようなものはなかったから、ただ血液でここにいたという跡を遺すしかない。洗えば落ちる血溜まりが子供の声で泣いていてうるさかった。大手町駅はやけに混雑していた。僕はカバンを下ろして両脚で挟んだ。

 不穏さだけが残った。不安だったのだ。子供、子供、子供。子供ができたせいで別れたカップル、子供ができたせいで殺された男、子供ができたせいで死んでしまったいくつかの希望。そして子供として生まれてきた自分。安らかな寝顔、犠牲、血の海で泣き声を上げ続ける2歳児。僕はほとんど妄想の世界に生きていたし、妄想の中で心臓はいつまでもバクバクとはげしく動き続けていた。深呼吸をしよう。お腹を膨らませて息を吸う。へこませて息を吐く。

Ⅲ.

 鼠の小説には優れている点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。ーー講談社文庫:村上春樹風の歌を聴け』より。

 セックスをしない、人が死なない。これ以上生まれないし、死なない。箱庭に固定された一つのユートピアのようなイメージは僕を少し安らげてくれた。今まで死んだ人間の総数よりもいま地上で生きている人間の方が数が多いのだ。これ以上必要なものなどないし、よく考えれば快感や安心感や、健康や安眠や男性ホルモン、女性ホルモンなんてのは生活を少しでも良くしてくれたことがあっただろうか。そもそも生活とは良くなることを目指すべきなんだろうか。

Ⅳ.

 それでも生活は続いていく。時計を見た。20:15と表示されたディスプレイは、世界が確かに不可逆的に進んでいることを示している。電車だって動き続けていつかは降りるべき駅へ辿り着くのだろう。それは希望だったし、或いは奇跡でも、神秘でも、偶然でもいいけれど、とにかく何か祝福のようなものを受けているのだと思った。僕は、いま。