ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

貫く

一貫性のない人間は信用できない、と彼は言った。一貫性という言葉について考えてみた。それはまるでアホウドリとか、ゆうひがおか、といった言葉のように意味を持たないようにも思えたし、未完成とか二年生を思い出させた。

 八月も半ばを過ぎた頃だ。僕はハンバーガーを食べながらスマートフォンを使って無意味な情報を無意味に探していた。彼は<創造と狂気>〜プラトンからドゥルーズまで〜と書かれた本を読みながら、精神病と創作の関係性についての話をしてくれた。

 とある時期まで鬱病は創造的な狂気ではないとみなされていたらしい。彼はペットボトルの緑茶を飲みながらそう言った。「妄想や幻聴は神の言葉として解釈されていたし、神が吹き込む霊感として言葉は生まれていたんだ」

「でも、神様はどこかに行ってしまった」

「だから精神科医が必要になってきたのさ」

彼はそう言うと緑茶を飲みきって、ペットボトルを放り投げた。カコンと小気味良い音がして、ペットボトルはゴミ箱に入っていった。

 それから僕らはとりとめのない話をした。アホウドリや、二年生の話もした。とりとめのない話は苦手だったけど、彼と話をするのは嫌いじゃなかった。妙に穏やかな午後二時半。滑り台の方では子供達が叫んでいる。

 「良いと思ったものを作ろうとして文章を書くんじゃなくて、考えたことが堰を切ったように溢れてくるからそれを言葉にしているだけなんだ」僕はそんことを言おうとして、やめた。あまりにも恥ずかしかったから。

 僕が話すのをやめたのは面倒だったからじゃない。何かを悟っているからでもない。自分のことも他人のこともあまりにもわかりやすく図式化してしまう癖があるからだった。良くも悪くも。

 何かを話すたびに、世界は懐中電灯で照らしたみたいに明と暗に分かれてしまうような気がする。この歌手の良いところはここだ、とか、僕は緑色が好きだ、とか、そういう事を言うたびに僕はどうしようもなく恥ずかしくなった。街は有機的なつながりで満ちていて、男と女の間にあるのは断絶じゃなくて連続体だ。こういうことを言わないで済んだら、有機的であると言わないで有機的であることを表現できたらどんなに素敵だろうと思った。つまり僕には一貫性がなかったのだ。

 

 僕は誰のことも馬鹿にするつもりはないし、自分に才能があるとも思っていない。ただ黙っているだけだ。どうして黙っているのかって、それは話すと誤解されるからだ。誤解されるのは悲しい。だからといって自分を閉ざしてしまうのはもっと悲しいことなのかもしれない。けれど、そうしておけば少なくとも傷つかずにいられる。僕には年相応の反発心があったし、反発心のわりには臆病すぎた。