ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

エアコンの葬儀

 エアコンは人生の真反対に存在している。動かないし、便利だし、呼びかけには応えてくれる。猫のような奔放さにお金を払うこの国の富裕層とはまた違った、完全で厳格なかたちを持っている。エアコンの頭脳は正確で、ミスをしない。その分だけ、遊びや柔軟性はあまりないけれど。

 東京の小高い丘の上に一個の小さな小屋があって、老人が一人、エアコンと一緒に暮らしていた。そのエアコンは勝手に動き出し、暖房と冷房が勝手に切り替わる。二十年前に買ったエアコンは十年前から故障していたけど、老人はその故障を愛していた。

 曰く、会社の連中よりもよっぽど面白いのだと言う。たとえば十二月の寒い夜、勝手に起きては冷たい息を吐き出して部屋中を凍りつかせるときなんてどんな人間よりもよっぽどクレイジーだ。けれどエアコンの機械の体にはきっと寒さも暑さもなく、気ままに過ごしている中で今日は冷たい息を吐くことを選んだのだと思うと愛着もわいた。手のかかる子供ほど可愛いものだ。

  エアコンは老人の外出中にも勝手に動き出して空気をめちゃくちゃにして好きな時に眠る。だから電気代がかさんだ。旅行で三日家をあけた時なんて、エアコンは延々と熱風を吐き出し続けていたみたいで部屋中がドロドロに溶けていた。窓際に飾っていた花は保存するための努力もむなしく枯れていたし台所の石鹸は形を保っていられなかった。その時もエアコンは老人をはるか上からじっと見下ろして、静かに眠っていたのである。老人はその姿に憧れを抱いていた。エアコンの狂気の中に永遠のエネルギーを感じていたのかもしれない。エアコンは都市が生産した電力を全て狂気に使い果たそうとしていた。忘れていた過去、力のあった時代、そんなの全て幻想で、めちゃくちゃな奴だけが本当だ。エアコンの壊れた頭はまさに二十歳的だった。老人は微笑ましくエアコンを見ていた。

 しかし人間とエアコンの寿命は大きく違う。老人が二十年の中で様々変化していったように、エアコンも二十年間で大きく変化していた。彼はもはや自らの狂気に耐えられる年齢じゃなかった。エアコンはいつも通り勝手に起き上がって思うがままに息を吐き出す。しかしその時にガタガタと言う大きな音と、震えを伴うようになってきた。

 エアコンと外の排気管をつなぐ太い線からも、血のように黒く淀んだ水がポタポタと滴り落ちてくる。老人は気が気ではなかった。しかし、修理の業者は呼ばなかった。五年前にもエアコンは不調を訴えたので、修理業者を呼んだのだがその時はこのエアコンのことを型落ち、とか接触不良、とか散々罵倒して挙げ句の果てにはまともに動くように改造しようとしたのだ。修理業者は何もわかってない。それが老人の考えだった。だから五年前、自分でエアコンの構造を勉強して、決して彼の脳を傷つけないように丁寧に、詰まっていたフィルターを掃除したり、切れていた回路をつなげたのだった。

 今回もできる限りの手を尽くしたつもりだった。しかしエアコンの震えが止まらない。夜毎に血を流し続ける。夜中に起きてはガタガタと震え、小さく息を吐き出す。その息は暖かくもあるし冷たくもあった。それはかつての奔放な少年のような気ままさではなく、病に苦しむ老人のままならなさのような悲しい不自由さを感じさせた。

 それでも老人はエアコンを愛していた。せめて最後を看取ってやろうと、毎日フィルターを掃除したし、脚立に登って体を拭いてやった。エアコンは幸せだったのだろうかと、ふと考えては眠りについた。夜は永遠に遠い。死の安らかさは知っていた。老人は穏やかに年をとってきた。エアコンにはもう少し時間が必要だと思ったし、エアコンに与えられた時間はあまりにも長かったのかもしれないと思った。目を覚ますと、エアコンはガタガタと震えるのをやめていた。エアコンは死んだのだ。

 老人はその日、パンを焼き目玉焼きを作って食べた。その後にコーヒーを一杯飲んで、ガブリエル・フォーレのレクイエムをYouTubeで流した。

 それから三日間かけて、老人はエアコンの遺体を丁寧に壁から取り外した。エアコンは冷たかった。エアコンのついていない部屋は彼が生きていた時よりも暖かかった。窓の外では街に雪が覆いかぶさっていた。老人は、エアコンの葬儀をどうするべきか、じっと考えていたのだ。