ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

ガールとポップ

17.

  誰にも会いたくないから、知らない誰かの家を渡り歩いた。インターネットで探せばいくらでも出てくる。いくらかの代償は支払う。それでもどこでもない所に居られる限りは、私は外にいた。私にとっての家なんてどこにもなかったし、それが心地よかった。

 私の目の前で世界はいつも巨大な違和感として存在している。だからいつでも首に一眼レフを下げている。巨大な違和感も、写真にしてしまえば一枚の紙だから。クレヨンで真っ白な画用紙に何かを書いてみるときもある。できの悪いコラージュみたいにカラフルな抽象画ができるだけだ。意味なんてない。物好きな男が、2000円で私の絵を買った。その男の家に泊まっている時だった。

 私は幽霊になったように昼間の街を歩いた。お気に入りのデニムのジャケットを着て、ふらふらと歩いた。時間は後ろから私を追い越そうとしていたし、若い時間にはついてこられないってことも知っていた。若いなんて言いたくなかった。若いなんて言葉で自分を表現したくなかった。変態の男はよく私を写真に撮った。その時だけは少しだけ苦しさもなくなるのが不思議だ。

 冬は色を増していく。過剰な装飾が施されたクリスマスツリーが駅前でビカビカと異常な点滅を繰り返している。私は銀色の高級車に乗って、そのクリスマスツリーを遠くから眺めている姿を想像した。車はこの視界の遠くから、クリスマスツリーを見下ろしている。遠くなのに、やけに細かくそれぞれの電飾が点滅するところまで見える。私はクリスマスツリーと、それに集まる人を遠くで見ていた。それはとっても高貴だった。私は幸せになれなさそうだ。

 おとぎ話のお姫様はいつだって優しい。王子様に対してだけじゃなくて、小人にだって優しい。お姫様はきっと、銀色の高級車に乗ってもクリスマスツリーの方へ向かうだろう。自分をめがけてやってくる様々な人たちに対してそれぞれとても誠実に対応して、そして王子様と結ばれて幸せになる。優しいが故の挫折なんかもしないで。ああ、私って意地悪だ。本当は羨ましいだけだ。私だってクリスマスツリーの下でみんなと笑っていたかった。

 

 

買い替え

 誰のことも愛していないから誰のことだって大好き。歯の浮くようなセリフだけが頭の中で響いた。わかりやすい傷が欲しかった。私が例えどんなに悪くても、同情してもらえるような。愛されたいのに、愛の所在がわからなかった。200円で買えるハンバーガーを食べた。ハンバーガーは、私にやさしい。

 誰もが怖いから誰にでも笑顔で接する。するととても愛されるということを知っている。嫌な顔はしても、全てを笑いに変える。冗談の力は途方も無い。どこにも行けない。そのはずなのに周りには人がよってきた。単純なフレーズが思い浮かんだ。本当の私を見て!だなんて、馬鹿みたいだ。

 買い替えが効くものだけが信用できる。いつでも同じクオリティを要求できるのが安心だ。チェーン店が沢山ある。世界は私にとって安心材料にあふれているから、どこにだって行けたし、どこにも行けなかった。

 アメリカに行っても、同じハンバーガーを食べる。私は日本の小さな町の、知らない誰かの家で、世界と繋がった気でいる。ハンバーガーの味は同じだ。私だって、替えがきく。人びとが私に求めているものはだいたい同じだ。もっと上手にできる子、沢山いる。私は買い替えが効くから、みんなに安心を与えることができる。

 大量に印刷されるプリントの一枚が私だ。

 ポップソングが好きだった。エイリアンセックスフレンド。私はって一人称を辞めたかった。少女は今日も複製として生きている。欲望とは他者の欲望である、と哲学者が言ったらしい。どこかの男が言っていた。他者の欲望。私が欲しいものは誰かが欲しいものだ。私は何も欲しくなくなりたいなって思った。ハンバーガーの次は甘い紅茶が飲みたいなって思った。

 誰かになりたいっていうのは嘘だ。誰でもない私になりたい。そしてできることなら、こんなにも誰かと類似した私を脱出したい。冬の公園で、いつか撤去される遊具みたいに使い古されて、それが個性だなんて、思いたくない。擦り切れていくには若いし、若いなんて言いたくなかった。どうしようもないくらいに私は私を辞められない。