ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

箱庭と海 1

Ⅰ.

 海に続く道はコンクリートで整備され、シンボルマークのようにヤシの木が整然と並んでいる。整えられてしまったな、と思う。

 バスの中に人は少ない。後方の、二人がけの席の窓際で頬杖をつきながらやけに晴れた空をにらんでいた。光が目に眩しい。

 僕は手に持っている紅茶ーーバス停の前の自販機で130円で買った小さな暖かい紅茶のペットボトルーーの少ない残りを全て飲んでしまった。

 この街はリゾートになった。数年前にとある旅行雑誌が、小さい砂浜が点々と林立しているこの街に目をつけ、「必ず穴場のあるビーチ」として紹介したのが始まりだったと思う。

 おかげで夏には10万人を超える来場者数を誇る県内屈指の海水浴場になってしまったが、その代わりに「必ず穴場のあるビーチ」ではなくなってしまった。林立する砂浜も、人数が多ければただ窮屈なだけだ。そう発言して、この街に住む両親と兄に睨まれたことがある。彼らはこの街が好きだった。同じように、とはいかないが僕だってこの街が好きだ。“思い入れ”がある。

 コンパクトなこの砂浜はイベントやライトアップで使いやすく、冬でもそれなりの数の観光客が訪れる。特に、その個室性のためかカップルの客が多かった。

  夏は海水浴で賑わい、冬はイベントやカップルで賑わう。そのためこの街の秋は業態の変化に向けた準備で忙しかった。

 

Ⅱ.

 僕は雑誌の取材でこの街にやってきた。

 これから注目の冬ビーチ特集、というようなつまらない記事だ。10ページの記事を書いて、数万円。それに経費と、交通費、宿泊費が出る。特に今回は両親の経営する宿に泊まるので宿泊費も浮く。良い仕事だ。ページが埋まれば誰がやってもいい仕事だし、僕はページを埋められる。全てがパズルのピースのようにピッタリとハマっていた。僕はそのピースの一部だった。それがシステムの中で生きるということだし、それに文句を言うほど僕は子供じゃない。

 だから、今回の仕事は思いがけない帰郷でもある。故郷。フルサト。言葉をなぞるだけで胸がざわざわした。けれど、そんなことを気にするほど僕は子供じゃない。いや、正確に言えば、子供じゃなくなってしまった。

  雑誌と都会と砂浜とカップルと紅茶の匂いがこのバスの車内で、僕の頭の中で一つの線として繋がっていた。それはとてもごちゃごちゃした無関係なものの集まりだったし、逆に言えば何を投入してもいい一種の箱庭だった。次はこの街にディズニーランドでもできればいい。そうすれば観光客は今の何十倍も来るだろう。

 

 Ⅲ.

 バスは順調に進み、砂浜が見えてきた。大きな鳥が空を飛んでいる。コンクリートと砂浜の境目を子供がジャンプする。5分もあれば端から端まで歩けるほど狭い砂浜だった。砂浜には何組かのカップルと、親子連れと、子供の集まりがいた。波は高くないからサーフィンや魚釣りには向いていない。海の向こうは夕焼けで、グレーの砂浜がうすくオレンジ色に染まる。両親の経営する宿はこの砂浜の近くにあった。

 この街には全部で15個の砂浜があって、その中の7つが海水浴場として利用されていた。それぞれに名前が付けられており、この砂浜は「ゆうがはま」と言う。夕陽が綺麗に落ちていく砂浜だった。市内では2つ目に小さい浜だったけど、その小ささと、そこに広がる夕暮れの景色がすきだった。

 気づけば空の大部分は紺色に染まっている。ほとんど夜になった。よるの「ゆうがはま」は狭くて、とても寂しい印象だった。砂浜の色はグレーで、それはとても現実的な色だ。

 バスを降り、息を吸い込む。ガラス窓で遮断されていた車内と違って潮の香りが直接飛び込んできた。僕は思わず目を閉じてしまった。東京はごちゃ混ぜの空間だから、文脈のない匂いが許される。大都市の中で紅茶の匂いを感じた時とは明らかに違った、土地の色、土地の匂い、結びつきーーあるいは歴史。そういったものが僕の中に感覚として立ち上がった。懐かしい、と言えばそうだし、この懐かしさが僕にとっては窮屈だった、と言えばそれもそうだ。記憶からの独立、土地からの解放、血の強制力からの回避。言葉でいえばそれらのエッセンスが入っているのだろうけど、言葉で伝えられるものでもない気がする。僕が持っている“思い入れ”とはそういうものだ。

 携帯を開く。両親に伝えたチェックインの時間より少しばかり早く着いたようだ。僕はコンクリートの堤防の上から「ゆうがはま」へと降りていった。