ゲージュツ的しつけ

フェレットのしつけが書いたゲージツ的なしつけ術の数々。メール→fererere25@gmail.com

12月の意味

Ⅰ.無意味さと空と12月

 12月の雨に街は真っ白だった。豪雨は街を白く染め上げているが、雪のように静かでもないし霧のように神聖でもない。ただ、強い雨だ。雨は生活を破壊する。雨は秩序を破壊しない。雨は権力を浮き彫りにする。雨は海へ帰っていく。雨は無意味だ。僕らの生活もほとんど無意味だ。

 


Ⅱ.無意味な映像

 大体のことは無意味だ。無意味に赤い夕方だ。合谷を押すと視界がぼやけた。親指と人差し指の間にあるツボ。人間の体にはいくつもスイッチが備わっている。少年漫画で読んだ過去の知識が目の前で再生されている。僕の視神経と手のひらが繋がっている。同じように僕の体とその他の体は繋がっている。

 


Ⅲ.バイク雑誌

 目の前の男は昔の、クリップ型の小さなアイポッドを胸につけて音楽を聴いている。薄いクリーム色のコートを着て、手には長いビニール傘を携え、下を向いている。下を向いている目は銀縁に黒いレンズのサングラスで見えない。髪は丁寧に後ろに流れていて、90年代のバイク雑誌の表紙を飾りそうな外見だった。少しだけワルい、遊び心と自由な魂を持ちながら家族を大事にして、年に一度バイクで2泊3日の北海道旅行をする。お土産にはいつもカニの缶詰を買ってくる。

 

 

 

Ⅳ.異性

赤い携帯電話を横にして、自分の髪の毛を触っている若い男の、はっきりと見開かれた自信に満ちた目線がなんとなく異性という感じがする。少女のように大人になってしまった実感があるのに少女でいたことがない成人男性の悲しみを、どう処理すればいいのだろうか。僕はレポートをシュレッダーにかけた。アイドルは救いをもたらす。プリキュアは悩みを吹き飛ばしていく。僕はプリキュアを見たことがない。空は白い。スクリーンは永遠に真っ白だ。僕の大学の映画研究会は、去年潰れた。

 


Ⅴ.真っ白な部屋

 画面が突然入れ替わる8ミリフィルムの映像のように、言葉が空間を映し出すことはできるのだろうか?真っ白で窓のない部屋に女が一人で座っている。部屋の中にあるのは背もたれのない、真っ白な丸い椅子と、木でできたテーブルと白い小さな本棚だけだ。本棚は高さが1メートルくらいで、3つの棚によって構成されていた。ほとんど本は入っていなかった。カルカッタ美術館の写真集と、フランス語の芸術の評論。フランス語の本は色とりどりの水玉が表紙にあしらわれていて、装丁がしっかりとしていた。女は立ち上がって、カルカッタ美術館の写真集を取り出し、床に投げつけた。インドの土偶が写るページが開かれる。女は指を折って何かを数えている。女の指には青いマニキュアが塗られていて、長い爪の根元が白い。人差し指の付け根がささくれだっていて赤い肉が少しだけのぞいている。そのささくれの肌色の切り口がすっと彼女の手の甲を切り裂いた時に赤い水がぷっくりと浮かんでくるのだろう。

 


Ⅵ.映像の終わり

 幻想の街だった。真っ青な扉を抜けるとオレンジの明かりに満たされた通りに出る。豚の頭を売っている男は左手の薬指がなかったが、こちらを向いて笑った。欠損は幸福との相関関係はない。そう言いたいような笑い方だった。つまりは異常なほどに普通だったのだ。異常なほどに普通な商人の笑いは怖かった。ここは正しい街。東京。退屈な街。いつのまにか女はささくれ立った爪の先で壁を引っ掻いていた。青いマニキュアが剥がれて、そのかけらがいくつか壁に固着した。私はその映像に無意味という題をつけようと思う。