最高の”洋楽ロック”とごく個人的な思い出
はじめに
ぼくの音楽との出会いはおそらく洋楽からだと思う。
父親は洋楽が好きな人間だった。
歌詞の意味がわかったことはほとんど無い。
ぼくが意味よりテンションや音を重視するのはこれが音楽の原風景としてあるからかもしれない。
このテキストは
①URL
②曲名
③演奏者/バンド名
と言う順番に無機質に文字がならんだリストの形で進んでいきます。
たまに、思うことがある曲には何かを書いてます。
まとまった秩序はつけませんでした。
もし良ければ、適当にスクロールしてクリックしてみたりしてください。
そうしているうちに、もし、あなたにとって大切な音楽が見つかったら、それに勝る喜びはありません。
さいこうの曲たち
https://youtu.be/l8WMGBuNaus
"Magical Mystery Tour"
おそらく、生まれて初めて聞いた音楽。
あのとき、22年前、1998年の東京郊外。走るビッグホーンの中でぼくはこれを聞いた。
"Green Garden"
Laura Mvula
毎日のように聞いていたJ-waveのラジオで毎日のように流れていた。
忘れられない曲。
何かの幸福を受け取っていた。
"sing swan song"
Can
最近聴いた曲。揺らめく感じが何故か何故か心地よい。
https://youtu.be/SECVGN4Bsgg
"Who can be mit"
Men At Work
生きてて初めてカッコいいと自覚した曲。いま、俺はカッコいいと思っている、とそう自覚した瞬間があった。
信長の野望をやっていた時だった。夏休みだったか日曜日だったか、とにかく休みの日だった。
https://youtu.be/KyQppQPCgMY
"Heart of mine"
Bibby Caldwell
忘れようにも忘れられない、R &Bの原風景になっているような曲。
https://youtu.be/CcGQhm9vJw0
"Believe it or not"
Joey Scarbury
https://youtu.be/Ll6LLGePYwM
"Part time lover"
Stievie Wonder
スティービー・ワンダーの豊かで愉快な曲。
豊かだなと思った。軽快だなと思った。
"Green, Green, Rocky Road"
dave van ronk
ブルースだと思った。ブルースはブルースとしてブルースだと思った。
この曲を聴いて思った。
https://youtu.be/Yc40EasXz18
"Almost Paradise"
Mike&Reno & Ann Wilson
父親のipodに入ってた。
洋楽好きの同級生と古い洋楽の話はできなかった。
彼はボブ・ディランが好きだったけどぼくがボブ・ディランを聴くようになるのは高校三年生くらいの時だからそのときはまだ知らない。
https://youtu.be/g5eXSPKHlso
"Heroin"
Lou Lied
世界で一番好きな曲、大事な曲それは何かと言われたら、日によってはこの曲と答えるかもしれない。
https://youtu.be/Daqp_wGdwhU
"Like A Roling Stone"
https://youtu.be/gxEPV4kolz0
"Piano Man"
カラオケで歌う。
ビリー・ジョエルは行く先々の大人の男たちが好きだった。
みんなどこか繊細だったんだと思う。
https://youtu.be/AYUdldNzLNA
"Kiss On My List"
Hall&oates
https://youtu.be/vsl3gBVO2k4
"Bohemian Rhapsody"
言うまでもなく素晴らしい曲。
なのだけれど、この曲名を自覚したのは最近だった。
高校生くらいの時だと思う。
これを初めて聴いたのはおそらくひどく、とても幼い時で、それもおそらくビッグホーンの中で聴いたのだ。
https://youtu.be/WOuI4OqJfQc
"Just the two of us"
Grover Washinton jr
"Have You Ever Been(To Electric Lady Land)"
https://youtu.be/XUjAC6hqeHI
"Atoll"
Nail Palm
信じられないくらい好き。信じられないくらいギターがうまい。
けどこの曲は、技術の問題ではない。
何が良いのか、何故良いのかわからない。全てと言ってしまえば無責任だけど。
しかし何故か良い。あまりにも良い。
https://youtu.be/BDpdaUG5vjE
"Full Session"
Nai Palm
ドレスコーズや、岡村靖幸のライブに並ぶくらい、クイーンのライブに並ぶくらい、いや、これらはそれぞれ絶対的なものであり、つまり絶対的なアーティストとして素晴らしいライブ。奇跡のような映像。
"Hard To Say I'm Sorry"
Chicago
https://youtu.be/_Son_p6sPeI
"Que sera sera"
"22(OVER S∞∞N)"
Bon Iver
高校三年生の卒業を前にした冬のある日、一月の音楽室で友人たちに、この曲がすごいんだって興奮気味に話した記憶がある。
衝撃だった。朝、学校へ向かう一時間半の電車の中で聴いたこのアルバムが、一瞬で、自分にとって大事だって分かった。
自分にとって大事なものはたぶん一瞬で出会って一瞬でわかる。
この年のグラミー賞はデヴィッド・ボウイが取った。このアルバムもノミネートされていた。その年にデヴィッド・ボウイは死んだ。
"Summer Colour"
"The girl I Hav'nt Met"
Kudasaibeats
ローファイヒップホップを初めて聴いたときの好きな曲。
ローファイな音声は好きで、この間書いたダニエル・ジョンストンもそういう音作りだけど、音楽は全然違う。
"Iambic 9 Poetry"
Squearepusher
エレクトロニックというのか。衝撃的な作品。
海辺の公園で聴いていた。夏にも合うし冬にも合う。
https://youtu.be/K3SezDMPpVM
"Heartbeat"
なぜかぐるぐる回る椅子で回転してる人のPVが印象的なこの作品はなんとなくディズニーランドに行くまでの道路を思い出させる。
ヤシの木がならんだ海岸沿いの道。
ここはどこだろうと思った。幼い時に行ったリゾートの記憶が浦安で思い出されたのだ。
https://youtu.be/zxNHJXpH9QM
"Bus in these streets"
Thundercat
地獄みたいなジャケットで夢みたいな音楽。
https://youtu.be/ppnrNTLYzl0
"Indian Summer"
Rasmus Faber feat. Frinda Sundemo
"Time To Pretend"
母を盗まれるという文章を昔、書いた。
そこに書いた少年と交わした数少ない会話の中に「MGMTは好きかい?」というのがある。
彼の返答は「そうでもない」だった。
https://youtu.be/FyYMzEplnfU
"Only Shallow"
"The end"
『オメガトライブ』という漫画で出てくる。
あの漫画は死にそうになるくらい良い漫画で、後に村上龍の『愛と幻想のファシズム』を読んだら同じような描写、同じようなストーリーが並んでいて、自分の好きなものも傾向がこうわかりやすく見えるのも面白い。
"Surf's Up"
https://youtu.be/4Zbnvh6I4k4
"Monkey Man"
The Roling Stones
ストーンズで一番好きな曲。
歌詞が一番好きなのは『悪魔を憐む歌』。
毛皮のマリーズのよく似たタイトルの(というかオマージュの)曲が好きだ。
"Peg"
"Slinky Thing"
"Return To"
#1Dads
https://youtu.be/isIABK-0ohQ
"The Wilhelm Scream"
James Blake
叫びは不協和で心に直接響くものだ。
ウィルヘルムというのは軍人の名前っぽい。
鉄兜とかそういうのが語源だった気がする。
軍人の叫びなのか。
ロックじゃない。これはジャズだ。
ビル・エヴァンスといえばワルツ・フォー・デビーなのだと思う。
けれどぼくはやっぱり、アリスが好きで、これはディズニーが影響しているのかもしれない。
始まりのDm7→G→CM7の進行が信じられない緩やかだ。
音楽が始まる瞬間の静けさは、何ものにも替えがたい。
"O trem azul"
Lo Borges
ポルトガルロック。
タイトルの訳は『青写真』らしい。
青い写真という意味なのか、それとも計画を立てるという意味で青写真という名前なのか、微妙だ。
(青写真とは19世紀に使われていた写真の印刷技術のことで、青く現像される写真のことを言うみたいです。
みたことあると思う。ググってみて。綺麗です。
普通に現像するより安かったので図面をコピーするために使われていて、そこから転じて設計図とか、計画を練ることに意味が変わっていったらしい。
この曲で言う「青写真」は、その青い写真そのものだと思う。)
ロー・ボルジェスという人はポルトガルの英雄的に人気なシンガーらしい。
全然知らなかった。何故知ったのかも覚えていない。
どちらにせよ大事な歌手で、大事な曲だ。
https://youtu.be/M5gjHFmi2Co
"John Wayne"
Cigarettes After Sex
"Goodbye to the circus"
Aqua
中学の卒業式の日に聞いた。
ぼくは中学生の時、なぜかわからないけどしあわせだった。理由もなく。
その幸せはたぶんサーカスだったんだと思う。
あの日にサーカスは終わって幸せも終わるんだって知ってた気がする。
だからこの曲は僕にとってすごいノスタルジーなんだけど、懐かしさと幸せはやっぱり今の僕にとっても大事なもので、つまりとても大事な曲です。
【暇つぶしまとめの記事】
最高の”邦楽ロック”(ぼくが知るかぎり)
はじめに
今まで聴いた中で最高の音楽を挙げてみました。
ここに集めた曲たちは全てぼくの人生において大切な曲です。
兄が部屋でかけていた曲、父に貰ったipodに入っていた曲、友達に勧められた曲、本で読んで聞いてみた曲、そんなふうに音楽と出会ってきました。
このテキストは
①URL
②曲名
③演奏者/バンド名
と言う順番に無機質に文字がならんだリストの形で進んでいきます。
たまに、思うことがある曲には何かを書いてます。
まとまった秩序はつけませんでした。
適当にスクロールしてクリックしてみたり、気にいる名前を探してみたり、自由に使ってみてください。
そうしているうちに、もし、あなたにとって大切な音楽が見つかったら、それに勝る喜びはありません。
最高の曲たち
"透明人間"
六つ上の兄が部屋の中でよくかけていた曲。
小学三年生くらいの時、学童クラブで『20世紀少年』を読んだ。
そのときずっと頭の中に鳴ってた。
"Loveずっきゅん"
これも兄がよくかけていた。
兄はバンドのドラムをやっていた。
"nano"
ぼくは一応作曲したりする。
一番影響を受けている、というかパクリ元はこの人たちで、ほとんど同じような曲調を無意識に目指してしまうみたいだ。
そのくらいどこか好きで、そして分かちがたい。
https://youtu.be/ddJNUENJsAM
"都会のアリス"
"光と影"
タワーの原風景が頭の中にある。
頭のタワーはきっと河川敷を歩いていた記憶とこの曲のMVのタワーがかぶって出来上がっている。
こち亀のおばけ煙突の話も、特別好きではないけどふと思い出してしまうタワーの一つだ。
"愛に気をつけてね"
今まで見たすべての映像の中で一番奇跡的な映像かもしれない。
"Don't Trust Ryohei Shima"
上記のライブ全部の映像です。
犯罪的。これ公開していいのかな。
とにかくすごいライブだなあ。
ありがとうございます。
"悲しいズボン"
たま
ほとんど即興的にこれを演奏していることが信じられない。
技術がある。技術があるように見せていないけどとてつもなく技術があって、その先に、もしくはその前に、もしくはその根底に何かがある。
潜んでいる。
"ベンガルトラとウイスキー/everything is my guitar"
散歩の途中でyoutubeを見たら関連動画で出てきて、クリックした記憶が残ってる。
https://youtu.be/TELGHn9WaOg
"Water front"
向井秀徳アコースティック&エレクトリック
"サーカスナイト"
"サーカスナイト"
青葉市子
サーカスナイトって曲を初めて知ったのはこの映像だった。
サーカスナイトという名前も、青葉市子という名前も、七尾旅人という名前も知っていたけど、この映像でそれがぶつかって良かったなあと思ってる。
こんなふうに記憶とか情報が交差する中心に音楽や映像があることが多くて、そういう音楽や映像は忘れない。忘れられない。
"月の丘"
青葉市子
最近この曲のギターを練習している。
"青恋イーゼル"
銀河スープ
中学生の時聴いていた。
聴くと心がドキドキした。
あのときはなぜか理由もなく幸福だった。
"チアチアゴー"
the rooms
「狂った青い樹の群れ
ここにいたいけれど
東急大井町線八時
さよならひかる未来」
なんかわからないけど、ロックンロール!って感じの女性ボーカル。
エレキギターをピックでギュイーンってやるシーンがあって、そこがかれこれ七年くらいお気に入りです。
https://youtu.be/UybhrTTYlXg
"タクラマカン砂漠"
モルグモルマルモ
PVの謎ダンスが好き。
"WEEKEND MAGIC NUMBERS"
https://youtu.be/galpVZNupRk
"愛の花"
タラチネ
懐かしい。この曲は僕の幸せのある部分をたしかに担っていた。
いまでも担っているのだろうと思う。
"I WAS IN LOVE"
FPM feat.細美武士
川を越えた向こうのバスの車両基地のような、青い壁に囲まれた広い建物群に面した道路を夏の熱い日にじりじり焼かれながらずっと歩いてた時に聴いて曲です。
"今更"
中学のなんかの行事で、遅れて体育館に入ってきた友達とこの曲について話しました。
"Avalon"
OTOTOI GROUP
誰か全然知らないけどすごい好き。
"魔法のように"
FAB
https://youtu.be/dUdfCCeloKU
"よろこびの吟"
plenty
"アイボリー"
"夢の中で"
https://youtu.be/FgIEGHTGTlg
"プラスティックガール"
青春という言葉を使うのは恥ずかしいけど青春という言葉が、ぼくの中で一番似合う曲。
"ビューティフル"
泣いてしまうほど思い出深い。
"僕の果実"
"春の feat.大坪加奈"
古川本舗
"縦書きの雨 feat.中納良恵"
"くちなしの丘"
"ハナレバナレ"
ぼくの中でハナレバナレはこのアレンジで頭に記録されてる。
"ナイトクルージング"
https://youtu.be/W6BFtZHURXM
"ずっと前"
https://youtu.be/w05Q_aZKkFw
"エイリアンズ"
"天空橋に"
友人が言っていたので聞いた。とても良い。
音楽って音がなっているわけだから静かじゃないんだけど音が鳴っている方が静かに感じられる曲があって、この曲は始まる前からそういう終わる時まで静けさに包まれてる。
"時間を名乗る天使"
これも友人が言っていたので聞いた曲。
夜に聞いた。夜にあってる。夜にあってる曲は好きだと思った。
"パークサイドは夢の中"
"今日を生きよう"
サニーデイ・サービスの中で一番好き。
「天使じゃないって?そりゃそうさ」って歌詞に、なぜか救われた。
何から救われたのかはわからない。
"あの娘ぼくがロングシュートきめたらどんな顔するだろう"
ギターを弾く岡村ちゃんの顔が好きすぎる。
"葬儀屋の娘"
工藤裕次郎
"北極大陸"
AL
"若者のすべて"
"ロビンソン"
"ブルーサマー"
Mechanelo
バンドマジックという言葉をこの曲の最後のアンサンブルで身体で理解した。
"夏なんです"
こんな映像があったなんて知らなかった。
夏なんですって曲なのに、冬に聞いてた思い出がある。
"セシウムと少女"
"Selfish"
"クロノスタシス"
きのこ帝国
"まともがわからない"
ラジオを聞いて登校していた中学校時代、ある時期に毎日のように流れていて、まともがわからないなあって思った。
"空洞です"
「想像上の神の庭で、誰もうまく遊べないよ」っていう歌詞が好きだった。今も好き。
https://youtu.be/6BDW1V_P5sA
"ハイブリッドレインボウ"
https://youtu.be/TCO-mXa0SBs
"夜の東側"
友達がカラオケで歌ったこの曲が、初めて聞いたサカナクションだった。
"ダニー・ゴー"
THEE MICHELLE GUN ELEFANT
誰よりも何よりも好きな曲。
"透明少女"
口上がかっこいいよね。
"脳"
トモフスキーは天才です。
天才とはこんなに自然体なものなのかと驚いてしまいます。
"高層ビルと人工衛星"
teto
https://youtu.be/HpWCEIfvqzk
"ネトカノ"
Sugar's Campaign
https://youtu.be/deWXsZrZwiM
"蛹"
suzumoku
"バックシート・フェアウェル"
集団行動
"冬来たりなば"
冬のアルバムだったので、ぼくはこれをお正月付近に聞くようにしている気がする。
"けむをまこう"
本日休演
"夜の太陽"
ギリシャラブ
"ローカル線"
"Time machine"
D.A.N
"シカゴ・バウンド"
"じゃっ夏なんで"
夏が好きかどうかはわからないけど、この曲の初めになっているセミの声はとても好き。
https://soundcloud.com/kyohei-sakaguchi-1/djojdny7qphv
"つばめ"
坂口アオ/坂口恭平
建築家、作家、陶芸家?なんかいろいろやってる坂口恭平という人の曲。
歌っているのは娘のアオさんという方らしい。
ノスタルジーな情景が浮かぶ。幸せな午後夕間暮れって感じの曲。
身体に重なるすべての時間と、タネを撒く人
終わった幸福もいつだって思い出せるし、いつだってまた感じることができる。幼年期の幸福な時間を、思春期の何故かわからない全能感を。ぼくらの身体か脳か筋肉か魂が覚えていて、いつだってまた感じることができる。
それは終わった幸福だけど終わった幸福じゃない。過ぎた時間だけど過ぎ去ったわけではない。
過ぎた記憶と感じるのは、記憶をノスタルジーの中で美化したい気持ちが働くからだろう。手に入らないものには大きな価値を感じてしまうから、過去はいつでも一番美しい。しかしいま蘇った過去はもう過去ではなく、いまそれを想う自分が存在しているのだから、その想いをノスタルジーとして美化するんじゃなく、いま浮かび上がった感情として受け入れてしまえば、その幸福感はいまの自分のものになるんじゃないか。
そうして幸福をいまの自分に引き入れ続ければ、ドラッグなんかいらないくらい、いつでも気持ち良くなれる。
ドラッグを必要とするのは、時間感覚が時計によって狂ってしまったからかもしれない。
身体はすべての過去を記憶していて、すべての未来を予期している。記憶と予期の間でいまがあるのだから、いまにはすべての時間が、少なくともこの身体にまつわるすべての時間が圧縮されて、その出力された形が、端的な生命としての自分だ。
ただ生きているというのはすべての未来と過去の重なりの中にいるということだから、生物はただ生きているだけで凄まじい情報量を持っていて、ただ生きているというのはそれだけで絶対的な善だ。
坂口恭平は言う。サルは樹上の生活で鳥の視点を獲得した。サルは鳥の歌を聴いて憧れていたから、音楽ができた。鳥の視点、空から見る視点を持ち、死んだら土に帰るから土地の記憶も持っている。
南方熊楠の本を買った。中沢新一が編集しているやつ。古本で文庫で100円だった。まだ読んでいない。
NHKの『そのとき歴史が動いた』でやっていた南方熊楠特集を見た。
お金とポジションのために熊野の木を伐採しようとする行政に対する抵抗について解説していて、その時だれかが「熊楠」と言う名前がまさに熊野のクスノキだから、彼は熊野古道の木々が切られるというのは自分が切られるような思いがしたんじゃないかと言っていて、人間は木にもなれるのだと思いずいぶんと感心した。
人間の共感能力は植物にまで及んでいる。僕らは植物と言葉で繋がれないからコミュニケーションが取れないような気がしているけど、熊楠と熊野の木の間では何かコミュニケーションがあったはずで、言葉というのは便利だけど他の表現形態を持たないと不自由だと思った。
植物と僕らのコミュニケーションで言えば農家はまさにそうで、彼らは植物の生命を助けて、植物から生命の助けを得ている。
人間と植物という種族間の共生関係をここまでハイレベルでできているのに、人間同士だと何故かうまくいかないのは、言葉に頼り過ぎているからではないのかと言ってみると、急に65歳男性の投書みたいなことを言い出したなあって自分で思う。
植物に対して人間は相手が望むことが何かを察して、研究機関まで作って頑張って好みを調べて、植物が望むように気温を整えたり日光を使ったり世話をしてあげたりする。
すべては収穫のためなんだけど、そのリターンは不安定ですぐ貰えるわけでもない。世話をしている瞬間はコストを払っているだけの状態だ。いまのドイツなんかはそんな感じがする。ヨーロッパ全体を支援することはいまの段階ではコストでしかない。けれどそれに対する返礼は確実にある。それをきっとメルケルさんはわかっているから、あれだけ身を切る支援をしているのだろうと思った。不安定でいつ貰えるかわからないリターンではあるけど、その返礼はある。
なんだか収穫というのは返礼という感じがする。ギブに対する返礼。
ビジネスの世界でも政治の世界でもタネを撒く、という比喩はあるけど収穫するって比喩は聞いたことがない。
収穫って能動的な言葉だけど、収穫のタイミングは能動的にコントロールすることは不可能で、気温とか日照時間とかが重なって勝手なタイミングで植物が実をつけて、それに従って起こることだから、収穫するという比喩は使いづらいのかもしれない。人間たちは能動的にタネを撒き、あとは過去の記憶を駆使して収穫のタイミングをを予期するだけだ。
だから収穫とは不思議な動作だと思う。
タネを撒けば作物は実るかもしれないし実らないかもしれない。植物について知っている人なら誰だってわかる。収穫のタイミングはいつ来るかわからないし、タイミングを逃したら返礼は受け取れない。
それでも農家はタネを撒く。過去と未来を頼りにしてどこかに希望を託しながら。
いまメルケルさんはタネを撒いている。
僕が言いたのは植物と人間の関係が人間同士の関係の先を行っているということだ。そして人間関係はようやく植物との関係に追いつこうとしている。
少なくとも、植物との関係を始めるにはタネを撒くしかない。能動的に動けるのは、タネを撒くか撒かないか、そして収穫するかしないかという部分だけだ。
ぼくはとにかくタネを撒こうと思う。結果的にどこかで返礼が来るから。いつになるかはわからないけど。そしてタネを撒くという比喩が具体的にどういうアクションを意味するのかはわからないけど。坂口恭平はパンティの返礼って言ってた。それはとても、個人的には、夢のある話だ。
仏教とエクストリームスポーツと羽生善治。必殺技!無我の境地について
https://twitter.com/masayachiba/status/1254266546706210816?s=21
人文的な書き物や文学において全てを説明しようとしている文章が軽く見られるのは、俺が俺がという自意識過剰で、エゴイスティックだからである。理数系の文章が全面的な明晰さを目指しても同じ帰結にならないのは、そこでの真理は主観的なものではなく、その明晰さは無我に他ならないからだ。
哲学者、千葉雅也氏の昨日のツイート。
どんなにすごい哲学者でも偉大なテキストでも、書いてる人が意識しない理論の飛躍とか、同じ言葉でも意味が違うとかそういうことがあるよねっていう文脈でこのツイートに至ったように僕は感じた。
今日、さっきこの動画を見て(聞いて)いて、その中で仏教の経典について話しているところがある。
とある学者が、ある経典についての本を出した。その本の中に「この経典には〇〇という言葉が複数出てくるが、それは場所によってまったく逆の意味として解釈できる双方向的な意味を持つものだ」という記述が出てくるらしい。
〇〇という言葉の意味が使う場所によってまったく違ってしまうということで、これは科学的にはめちゃくちゃ問題のあることのように一瞬思う。
教科書に☆☆という言葉が出てきて、それの意味が場所によって違ったら理論としては成り立たないしわけわからないと思うから。
一つながりの理論とか、考えの積み重ねで、テキストが成り立っている場合、一つの言葉は厳密に扱わなければいけないという感じがする。
その経典でも〇〇という言葉の意味は、厳密に一つの説明がつくようでないと困ってしまうように思いがちなのだけど、書いてる人はたぶんそんなこと気にしていなくて、大事なのはその言葉そのものの意味ではなくて、その瞬間にその言葉が出てきたということなのだと思う。
保坂和志は小説家の磯崎憲一郎との会話の中で「磯崎はそれって(保坂氏がよく言う)“小説の推進力”と同じ意味ですよね。とか、こないだそれ話してましたよね。とか言うんだけど、そういうことじゃなくて今その言葉使ってないし、その話の流れの中で言葉が出てきただけなんだよね」というようなことを話すらしい。
これらの事柄と、冒頭のツイートが自分の中で何か関連がある気がして、それらが繋がって広がっていく気がする。すべては意味が近い。
冒頭に引用したツイートでは、理数系の論文が全てを説明しようとしても軽く見られないのは、主観的な文章ではないからだ、そしてその明晰さは無我であると言われてる。
理数系の文章が主観的な文章でないなら、人文的な、あえて言えば文系的な文章は主観的な文章だということになる。主観とエゴは切り離せない。切り離せないのだけど、切り離さないと書けないという矛盾めいたものがある。
無我の境地っていうテニスの王子様の必殺技があった。
今でいうゾーンってやつで、科学的にはフロー現象と言うらしい。超集中状態のこと。 アメリカのチクセントミハイさんって心理学者が研究していて、雪山の頂上からスキーで滑ったり、滝を下ったりするようなエクストリームスポーツの人たちはフローに入らないと死ぬから、わざと自分を追い込んででも集中するんだって。
カフカは一晩でかけるところまで何十枚でも書いてしまう。短編なんかは夜から朝までかけて何時間も書き続けてついに書き終わってしまうらしい。
しかも、書き始めるのは疲れている時の方が良いとも言っている。
小説家がフローに入る技術について言いたいわけじゃないけど、こういうことがあって、これってつまり無我の境地なんだと思う。
何か説明がつかないけどそうなる。書けるとかじゃなくて、書かなきゃいけないとかでもなくて、何か書く。それについて自分の考えの及ばない何か本能みたいなものが働いたり、超集中状態に入ったりする。それは説明がつかない。科学的に説明できても、それで説明がついたわけではない広がりみたいなのがあるとそうだと思った。
羽生善治というとてつもなく強い将棋指しがいて、彼があまりにも強いから対局中の脳波を測ってみたらα波が出ていた、という話を、さっきの動画で保坂和志がしていた。
α波というのは瞑想の時にでる波形らしい。だから羽生善治はじーっと考えていて、何か将棋について考えているのだけど、それは瞑想に近い。というか将棋を通して瞑想しているというか、そういう状態だということだ。
瞑想をすると無我の境地に至ることができる。らしい。それはたぶん自分を消すとか殺すとかそういうことじゃなくて、これは直感に過ぎないのだけど、エゴを殺すということでもない気がする。全てに期待しないみたいな、そんな風にしたらもはや人間ではない気がするから。
だから無我の境地というのが何なのかは分からないけど、少なくとも羽生善治が考えている時と瞑想は近くて、瞑想が無我の境地につながっているらしい。
スポーツにおけるゾーン、超集中状態も無我に近く、カフカもそうなっていたのじゃないかと睨んでいる。無我の文章は面白く、偉大なテキストはやっぱり無我っぽい感じがする。
何ひとつとして断言はできないけど、ただ一つ断言できるのは、これらすべては繋がっている。そしてそれによって世界が広がっているということだ。
音楽とエゴの関わりかたについて面白いブログ記事があった。
『エゴのない音楽がすき』
https://teppeikondo.blogspot.com/2017/04/blog-post_10.html?m=1
音楽をやる人は二通りいて、自分を表現するために音楽を使っている人と、音楽に同化してエゴを消したいという人。
後者の方が好きだという話。読みやすいし面白いのでぜひ読んでみてほしい。
音楽と同化してエゴを消す。この時、この人の脳内にはα波が出ているんじゃないか。
それは科学的にどうとかじゃなくて、瞑想みたいな。羽生善治が将棋の行き先について考える時と同じようなことが演奏家の中で起きているんじゃないかと思う。
そういう演奏は聞いていて気分がいいし見ていても素晴らしい。
そういうステージは奇跡みたいな感じになる。小山田壮平や志磨遼平、知久寿焼、フレディ・マーキュリー、ルチアーノ・パヴァロッティ、宇多田ヒカル...。もう枚挙にいとまがないって感じだけど、最高の人たちはやっぱり無我という感じがする。
時間があれなのでこの辺で終わります。同化して、エゴを消したいなと思います。音楽と同化して、文章と同化して、そしてそういう人を見ると、その人に同化して、聞いてる人や見てる人も無我〜って感じになるんだと思います。パフォーマーとしても素晴らしくなる。カフカって喋ったら、周りの人がついつい聞いちゃうような人だったんじゃないかなと思う。
実験動物の妄想についての1000文字レポート
一人だけ取り残されたような気持ちがしている。時の流れは早く、それはぼくの思考よりずっと早い。ぼくの成長よりずっと早い。
本を読んでいると、その本について色々解説とかが書いてあったりする。友人と話したり、ネットで検索すれば様々な感想が返ってくる。
そこには、ぼくの読み取れなかった部分、ほんとうのことを言うと、ぼくには情景として理解すらできなかった部分の理解が書かれている。克明に、詳細に。
それを読むと、世界でこれを理解できないのはぼくだけなんじゃないかという不安が生まれる。それだけの知性を自分が備えていないのではないかという不安。自分が世界に取り残されている不安。
ぼくは時に、変な妄想をする。
自分は実験動物のサルで、ほかの人間は宇宙人のように、とにかく自分より遥かに高い知性と能力を持っている。彼らは、この下等なサルを育てていくと何に興味を持ち、どの程度の知性を育むことができるのかを調べるためにぼくの周りで様々なことをする。
テレビ番組を用意したり、本を用意したり、ポルノを用意したり。彼らはぼくを絶えず監視していて、実験ノートは溜まっていく...。世界は壮大な実験室である!みたいな。バカげた妄想だ。
ここで大事なのは監視されているという部分ではない。
自分が下等なサルで、ほかの人間は全てにおいて自分を上回っているという部分だ。取り残されてる感覚が、たぶんこの妄想にあらわれている。
それと同時に、あくまでも自分は保護された存在であり、甘やかされているという感覚もある。自分では何もせず、周りが条件を整える。自分は観察され大切にされる価値がある存在だと、根底では、思い続けている。
生存の条件を握られているということはほかの人間の考え次第で死ぬことにもなっている。これは妄想を基にした運命論みたいだ。死ぬ時は実験の終わり。
ほかの人間には決して追いつけず、保護され、鑑賞され、バカにされ、笑われる。それに抗議しようにも、自分以外はすべてに於いて自分より秀でているのだから文句も言えない。
そしていつか死ぬ。無様に生き、哀れに死ぬ。ここまでが妄想だ。不安と不信に基づいている妄想だ。
時の流れは早いという話だった。
時の流れは早く、ぼくの進みは遅い。劣等感にさいなまれてバカげた妄想をすることもある。こういう時は、寝るのにかぎるから寝よう。良い夢がみたいです。
会話 人称の移動 融合(カメラとか因数分解とかによせての)
鳥の羽がビルの間をななめに傾かせて通っていくのを見た。ふっくらとした体の年老いた鳩がぼくの足下で草を突っついている。何の気なしに言葉をつぶやく君の声をぼくは聞いた。正確には音を聞いた。音に意味が伴わなければ声じゃない気がする。ぼくは音の方だけ聞いて意味は聞いてなかった。
「だから、対岸を見てって言ったの。私が川のこっち側と向こう側で微妙に光の当たりかたが違っているのに気付いて、それを彼は知ってるはずだったから。その微妙な違いを撮るのが写真家だって私は先生からこっぴどく言われていたのを、あなたも知っているでしょう?」
ぼくは知らない。微妙な光の違いも、象徴と記号の違いも知らなかった。だからそう答えた。彼女は首から下げたカメラを持って、急に立ち止まる。パシャパシャと音がして鳩の時間が止まる。SDカードの中で。
「パシャパシャなんて当たり前の擬音使わないでよ。待って、私が行くまで。」
彼女は早足でついてきた。ぼくは紳士じゃなかった。
「鳩の胸のところの毛の色が少しずつ紫だったり緑だったりするのを私は見つけて、いつかアシスタント付きのスタジオを持ったら鳩の羽を一枚だけもらってきて光の種類を試しながら何百枚と写真を撮ってやろうって話したの。先生は笑って、先生は厳格な人だけど厳しくないから私によく笑ってくれるの。それで、笑って、『光源を真面目に考えて見たことはあるか』って。それで例の光の話になって、その日はそれでおしまい。何もちゃんと技術なんか教えてくれないけど、まあそれでいいのよね。私は彼のアシスタントとして十分に仕事をしてるし。先生はたぶん、仕事のことなんて本当はどっちでも良くて、光とか時間とか、夜ご飯とかそういうことばっかり考えているから、写真がうまいのね。」
君だってうまいじゃないか。とぼくはひどく一般的なことを言った。例えばオペラ歌手の歌が、誰がうまくて誰が下手かなんて分からないように。つまらないことを言った。
「前衛芸術家の作品に優劣がつけづらいように。それでもはっきりとその差はある。例えば歌手だったら音とか、芸術家だったら色とかね。その微妙な違い、なんていうの?微分?一番小さくした数ってあるじゃない。」
最大公約数?
「そんな感じ。因数分解みたいな。その一番小さな構成要素が、結局のところ違いになって、見る人が見れば、聞く人が聞けば、それが優劣になる。見る人や聞く人が社会的立場ならそれが一般の評価になる。写真の場合それが光だって、たぶん先生は言いたいんだと思う。」
ぼくもさっき音について考えていたんだ。それを思い出した。地球の公転周期みたいに、眠れない子供の夜泣きの間隔みたいに、何かが自分や世界を通して循環していて、会話とか思考とかもそういう循環に巻き込まれてしまう。彼女は写真を見比べて足を止めたから、ぼくは最大限の紳士性を発揮して、立ち止まって彼女の方を見た。光がなんとなく彼女を照らしていてそれは今までのどんな瞬間とも違っているようにみえた。
煙は
便所からタバコの煙が灰色に上がって、チェーン店の大衆酒場の光に照らされて、また街灯の光に照らされて霧のように空へ飛んでいくのを僕はじっと見ていた。
もう店内では吸えない。
タバコは彼のものじゃなく、僕のものでもない。僕はタバコを吸わない。もらいものだ。彼はタバコの箱を手に持つと、神妙な顔つきでフィルムを剥がし、上部をパカッと開けて1本だけ取り出し、それも普段神経を使わないことに神経を使っているような、特段男らしい彼がやけに繊細に1本取り出すので、不思議な気持ちにもなった。
女に触れるように、いや彼の場合女に対してもそんな丁寧な扱いはしないだろう。では、誰に?僕の頭には老いた母親に触れるように、という比喩が浮かんだ。甘えるようにタバコを吸うのだ。タバコを吸う男は皆。なんとなく、不機嫌をぶつけるようにして吸う。タバコを吸った瞬間に感じる一瞬の緩んだ表情を悟られまいと、とっさに口を一文字に結んで、安心なんてしていないぞと見せるようにより神妙な顔つきになる。その時の顔が泣き出す前の子供のようで、僕はおかしくなる。
口寂しいものがタバコを愛好するようになると聞いたことがある。タバコを吸うと、男は自分の男性性を思い出すようだ。タバコを吸うと、どこか懐かしくなるみたいだ。僕は人の懐かしさを奪ったり、懐かしいと思うきっかけを奪ったりするのは悪いことだと思うから、タバコの規制には反対だった。幼い日に遊んだ公園を取り壊されるような気持ちがするのでは無いだろうか、それどころか、タバコが母親のメタファーだとすれば、母親と触れ合う機会を減らされた子供、あるいは孤児のような気持ちさせられるのでは無いか。これは非喫煙者の勝手な妄想に過ぎない。彼らはそんな、比喩とか関係なく自分が求めるから吸っているだけなのだと、その道理はわかっているつもりだと、そんな意味を込めて、タバコを吸う彼の目を見る。彼の目は退屈そうに見せているけど、やっぱり安心しきっていて、だからタバコの煙はあんなに穏やかに空へ向かって飛んでいくのだ。